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ティェンタオの自由訳漢詩 1980

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 盛唐74ー岑参
    山房春事              山房春事

  梁園日暮乱飛鴉   梁園(りょうえん)の日暮(にちぼ)   乱れ飛ぶ鴉(からす)
  極目蕭条三両家   極目(きょくもく)  蕭条(しょうじょう)たり  三両家(さんりょうか)
  庭樹不知人去尽   庭樹(ていじゅ)は知らず  人の去り尽すを
  春来還発旧時花   春来(しゅんらい)還(ま)た発(ひら)く  旧時(きゅうじ)の花

  ⊂訳⊃
          梁園の日暮れ  鴉は乱れ飛び

          見わたす限り  荒涼として二三の家がある

          庭の木々は   住む人のいないのを知らず

          春になると    昔のままに花を咲かせる


 ⊂ものがたり⊃ 開元二十八年(740)、玄宗は息子寿王の妃楊環(ようかん)を召して道観(道教の寺)に入れ、太真(たいしん)の号を与えました。李白は天宝元年(742)の冬、召されて都に上り、翰林供奉に任じられます。
 李白は天宝三載(744)の春に都を去り、杜甫は李白と交流したあと、天宝五載(476)の春、長安に出て来ます。天宝十一載(752)の十一月に宰相李林甫が亡くなると楊国忠が宰相になり、安禄山と対立するようになります。天宝十四載(755)十一月九日の早暁、安禄山は幽州(北京)で兵を挙げます。
 岑参(しんじん:715−770)が三十歳で進士に及第するのは、天宝三載、李白が長安を去った年で、御史台に配属されます。詩題の「山房」は山中の庵のことです。「梁園」は漢代梁の孝王の庭園が有名ですが、岑参は梁(河南省商丘県付近)に住んだことがありませんので、若いころ勉学に励んでいた嵩山(河南省登封県の北)少室山中の家の庭を「梁園」と称したのであろうと推定されています。
 孝王の「梁園」であれば、孝王はそこに平台という楼台を築き、多くの文人を招いて遊宴の日々を送りました。この場合は転句の「人の去り尽す」はかつて華やかに集まった文人たちも去って無人になったという歴史懐古になります。詩としては、単に住む人のいなくなった家の庭と解するよりもこの方が面白いようです。

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