盛唐72ー李頎
送劉? 劉?を送る
八月寒葦花 八月(はちがつ) 寒葦(かんい)花さき
秋江浪頭白 秋江(しゅうこう) 浪頭(ろうとう)白し
北風吹五両 北風(ほくふう) 五両(ごりょう)を吹き
誰是潯陽客 誰か是(こ)れ潯陽(じんよう)の客ぞ
鸕鵄山頭微雨晴 鸕鵄(りし)山頭 微雨(びう)晴れ
揚州郭裏暮潮生 揚州(ようしゅう)郭裏(かくり) 暮潮(ぼちょう)生ず
行人夜宿金陵渚 行人(こうじん) 夜 宿す 金陵(きんりょう)の渚
試聴沙辺有雁声 試(こころ)みに聴け 沙辺(さへん)に雁(かり)の声有りや
〇 五句目の「鵄」は外字になるので同音の字に変えてあります。
本来の字は 至 の部分が 茲 です。
⊂訳⊃
秋八月 葦の花が咲き
長江に 白い浪が立つ
北風が 旗の向きをかえ
潯陽へ旅立つ者が君であるとは
鸕鵄山のあたり 小雨はやみ
揚州の城内まで 夕べの潮が満ちてくる
金陵の汀に 舟を泊めた夜
浜辺で鳴く雁の声 耳をすませば聞こえるだろう
⊂ものがたり⊃ 李頎(りき:690−751?)は趙州(河北省趙県)の人。開元二十三年(735)に四十六歳で進士に及第し、新郷(河南省新郷県)の県尉になりました。しかし、役所の雑務を嫌って道士らと交際し、伝は不明です。
詩題の「劉?」(りゅういく)は不明です。劉?が潯陽(江西省九江市)へ旅立つのを揚州(江蘇省揚州市)で見送る送別詩です。詩は五言絶句と七言絶句を合わせた形になっており、雑言古詩になります。
前半の「八月」は陰暦、秋の酣。「五両」は風向きを見る風信旗ですが、「秋江 浪頭白し」と合わせると左遷されての旅立ちと思われます。「誰か是れ」の口調には、あってはならないという語感があります。
後半の「鸕鵄山」は閏州(江蘇省鎮江市)付近の山と見られ、「鸕鵄」は鵜を意味します。当時の長江河口は閏州・揚州の近く、つまり海が現在よりも陸側に寄っていましたので、満ち潮のときは海水が上って来ました。
最後の二句は別れの悲しみを詠うものです。「金陵」(江蘇省南京市)の汀に舟を泊めた夜、浜辺で鳴く雁の声が聞こえるだろう。それは君との別れを悲しむ僕の声だよと言っているのでしょう。
送劉? 劉?を送る
八月寒葦花 八月(はちがつ) 寒葦(かんい)花さき
秋江浪頭白 秋江(しゅうこう) 浪頭(ろうとう)白し
北風吹五両 北風(ほくふう) 五両(ごりょう)を吹き
誰是潯陽客 誰か是(こ)れ潯陽(じんよう)の客ぞ
鸕鵄山頭微雨晴 鸕鵄(りし)山頭 微雨(びう)晴れ
揚州郭裏暮潮生 揚州(ようしゅう)郭裏(かくり) 暮潮(ぼちょう)生ず
行人夜宿金陵渚 行人(こうじん) 夜 宿す 金陵(きんりょう)の渚
試聴沙辺有雁声 試(こころ)みに聴け 沙辺(さへん)に雁(かり)の声有りや
〇 五句目の「鵄」は外字になるので同音の字に変えてあります。
本来の字は 至 の部分が 茲 です。
⊂訳⊃
秋八月 葦の花が咲き
長江に 白い浪が立つ
北風が 旗の向きをかえ
潯陽へ旅立つ者が君であるとは
鸕鵄山のあたり 小雨はやみ
揚州の城内まで 夕べの潮が満ちてくる
金陵の汀に 舟を泊めた夜
浜辺で鳴く雁の声 耳をすませば聞こえるだろう
⊂ものがたり⊃ 李頎(りき:690−751?)は趙州(河北省趙県)の人。開元二十三年(735)に四十六歳で進士に及第し、新郷(河南省新郷県)の県尉になりました。しかし、役所の雑務を嫌って道士らと交際し、伝は不明です。
詩題の「劉?」(りゅういく)は不明です。劉?が潯陽(江西省九江市)へ旅立つのを揚州(江蘇省揚州市)で見送る送別詩です。詩は五言絶句と七言絶句を合わせた形になっており、雑言古詩になります。
前半の「八月」は陰暦、秋の酣。「五両」は風向きを見る風信旗ですが、「秋江 浪頭白し」と合わせると左遷されての旅立ちと思われます。「誰か是れ」の口調には、あってはならないという語感があります。
後半の「鸕鵄山」は閏州(江蘇省鎮江市)付近の山と見られ、「鸕鵄」は鵜を意味します。当時の長江河口は閏州・揚州の近く、つまり海が現在よりも陸側に寄っていましたので、満ち潮のときは海水が上って来ました。
最後の二句は別れの悲しみを詠うものです。「金陵」(江蘇省南京市)の汀に舟を泊めた夜、浜辺で鳴く雁の声が聞こえるだろう。それは君との別れを悲しむ僕の声だよと言っているのでしょう。