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ティェンタオの自由訳漢詩 1978

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 盛唐72ー李頎
    送劉?              劉?を送る

  八月寒葦花      八月(はちがつ)  寒葦(かんい)花さき
  秋江浪頭白      秋江(しゅうこう)  浪頭(ろうとう)白し
  北風吹五両      北風(ほくふう)   五両(ごりょう)を吹き
  誰是潯陽客      誰か是(こ)れ潯陽(じんよう)の客ぞ
  鸕鵄山頭微雨晴   鸕鵄(りし)山頭  微雨(びう)晴れ
  揚州郭裏暮潮生   揚州(ようしゅう)郭裏(かくり)  暮潮(ぼちょう)生ず
  行人夜宿金陵渚   行人(こうじん)  夜  宿す   金陵(きんりょう)の渚
  試聴沙辺有雁声   試(こころ)みに聴け  沙辺(さへん)に雁(かり)の声有りや

       〇 五句目の「鵄」は外字になるので同音の字に変えてあります。
          本来の字は 至 の部分が 茲 です。

  ⊂訳⊃
          秋八月  葦の花が咲き
          長江に  白い浪が立つ
          北風が  旗の向きをかえ
          潯陽へ旅立つ者が君であるとは
          鸕鵄山のあたり  小雨はやみ
          揚州の城内まで  夕べの潮が満ちてくる
          金陵の汀に    舟を泊めた夜
          浜辺で鳴く雁の声  耳をすませば聞こえるだろう


 ⊂ものがたり⊃ 李頎(りき:690−751?)は趙州(河北省趙県)の人。開元二十三年(735)に四十六歳で進士に及第し、新郷(河南省新郷県)の県尉になりました。しかし、役所の雑務を嫌って道士らと交際し、伝は不明です。
 詩題の「劉?」(りゅういく)は不明です。劉?が潯陽(江西省九江市)へ旅立つのを揚州(江蘇省揚州市)で見送る送別詩です。詩は五言絶句と七言絶句を合わせた形になっており、雑言古詩になります。
 前半の「八月」は陰暦、秋の酣。「五両」は風向きを見る風信旗ですが、「秋江 浪頭白し」と合わせると左遷されての旅立ちと思われます。「誰か是れ」の口調には、あってはならないという語感があります。
 後半の「鸕鵄山」は閏州(江蘇省鎮江市)付近の山と見られ、「鸕鵄」は鵜を意味します。当時の長江河口は閏州・揚州の近く、つまり海が現在よりも陸側に寄っていましたので、満ち潮のときは海水が上って来ました。
 最後の二句は別れの悲しみを詠うものです。「金陵」(江蘇省南京市)の汀に舟を泊めた夜、浜辺で鳴く雁の声が聞こえるだろう。それは君との別れを悲しむ僕の声だよと言っているのでしょう。



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