盛唐71ー李華
春行寄興 春行 興に寄す
宜陽城下草萋萋 宜陽(ぎよう)城下 草(くさ)萋萋(せいせい)たり
澗水東流復向西 澗水(かんすい)東流し 復(ま)た西に向かう
芳樹無人花自落 芳樹(ほうじゅ)人無く 花(はな)自(おのず)から落ち
春山一路鳥空啼 春山(しゅんざん)一路 鳥(とり)空しく啼(な)く
⊂訳⊃
宜陽の街の郊外に 春の草は豊かに茂り
谷川の水は東に流れ また西へと向かう
花咲く樹々は 見る人もなく花は散り
春山にひとすじの道 鳥は空しく鳴いている
⊂ものがたり⊃ 李華(715?−766)は趙州賛皇(河北省趙県)の人。開元二十三年(735)、二十一歳くらいで進士に及第し、天宝十一載(752)に監察御史になりますが、楊国忠に逆らい右補闕に左遷されます。
安禄山の乱のとき賊軍に捕らえられ、鳳閣舎人に任ぜられたため、戦後、杭州の司戸参軍に流されます。節義を汚したことを恥じ、職を辞して江南に隠棲しました。その後は召しに応ぜず、山陽(江蘇省淮安県)で農耕に従事し、代宗の太暦元年(766)に亡くなります。享年は五十二歳くらいです。
『唐詩選』には一首を載せるのみで、制作時期は不明です。「宜陽」(河南省宜陽県)は洛陽の西南、洛水のほとりにあり、「澗水」は洛水に流れ込む谷川でしょう。春の山道での感興を詠う詩ですが、全体として虚しさが漂っており、右補闕に左遷されたころの作品かも知れません。
春行寄興 春行 興に寄す
宜陽城下草萋萋 宜陽(ぎよう)城下 草(くさ)萋萋(せいせい)たり
澗水東流復向西 澗水(かんすい)東流し 復(ま)た西に向かう
芳樹無人花自落 芳樹(ほうじゅ)人無く 花(はな)自(おのず)から落ち
春山一路鳥空啼 春山(しゅんざん)一路 鳥(とり)空しく啼(な)く
⊂訳⊃
宜陽の街の郊外に 春の草は豊かに茂り
谷川の水は東に流れ また西へと向かう
花咲く樹々は 見る人もなく花は散り
春山にひとすじの道 鳥は空しく鳴いている
⊂ものがたり⊃ 李華(715?−766)は趙州賛皇(河北省趙県)の人。開元二十三年(735)、二十一歳くらいで進士に及第し、天宝十一載(752)に監察御史になりますが、楊国忠に逆らい右補闕に左遷されます。
安禄山の乱のとき賊軍に捕らえられ、鳳閣舎人に任ぜられたため、戦後、杭州の司戸参軍に流されます。節義を汚したことを恥じ、職を辞して江南に隠棲しました。その後は召しに応ぜず、山陽(江蘇省淮安県)で農耕に従事し、代宗の太暦元年(766)に亡くなります。享年は五十二歳くらいです。
『唐詩選』には一首を載せるのみで、制作時期は不明です。「宜陽」(河南省宜陽県)は洛陽の西南、洛水のほとりにあり、「澗水」は洛水に流れ込む谷川でしょう。春の山道での感興を詠う詩ですが、全体として虚しさが漂っており、右補闕に左遷されたころの作品かも知れません。