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ティェンタオの自由訳漢詩 1976

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 盛唐70ー賈至
   岳陽楼重宴別王       岳陽楼にて重ねて王八員外の
   八員外貶長沙         長沙に貶せらるるに宴別す

  江路東連千里潮   江路(こうろ)東に連なる 千里の潮(うしお)
  青雲北望紫微遥   青雲(せいうん)北に望めば紫微(しび)遥かなり
  莫道巴陵湖水闊   道(い)う莫(な)かれ     巴陵(はりょう)  湖水闊(ひろ)しと
  長沙南畔更蕭条   長沙は南畔(なんぱん)  更に蕭条(しょうじょう)たらん

  ⊂訳⊃
          長江は東へと流れ  千里の間に満ちわたる

          北に青雲を望めば  都の空は遥かに遠い

          湖水が広いなどと  巴陵を褒めないでくれ

          長沙は南の果て   もっと寂しいところだよ


 ⊂ものがたり⊃ 詩題の「岳陽楼」(がくようろう)は岳陽城西門の上にあります。そこから眺める洞庭湖は天下の絶景とたたえられていました。「王八員外」は伝不明です。尚書省の員外郎(従六品上)の王某が「長沙」(湖南省長沙市)へ流される途中、岳陽に立ち寄り、岳陽楼で宴を催したときの詩です。
 承句の「青雲」は高い志の喩え、「紫微」は皇居、ここでは都を指します。共に貶謫の身になり、志を果たせないことを歎くのでしょう。「長沙」は洞庭湖の東南、「巴陵」(岳陽)から150kmほどの南にあります。そこへ赴く王員外郎が巴陵は湖水が広くて美しいと褒めたのでしょう。それに対して賈至は、無理をして褒めなくていいよ。長沙はもっと寂しいところなんだからと言います。
 賈至はその後、赦されて都にもどり、大暦五年(770)に京兆尹蒹御史大夫になり、右散騎常侍に至ります。大暦七年に亡くなり、享年は五十五歳です。

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