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ティェンタオの自由訳漢詩 1969

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 盛唐63ー劉長卿
    登餘干古城           餘干の古城に登る

  孤城上与白雲斉   孤城(こじょう)  上(かみ)は白雲(はくうん)と斉(ひと)し
  万古蕭条楚水西   万古(ばんこ)   蕭条(しょうじょう)たり  楚水(そすい)の西
  官舎已空秋草没   官舎(かんしゃ)  已(すで)に空しくして秋草(しゅうそう)没し
  女牆猶在夜烏啼   女牆(じょしょう)  猶(な)お在りて夜烏(やう)啼く
  平沙渺渺迷人遠   平沙(へいさ)   渺渺(ひょうびょう)として  人を迷わせて遠く
  落日亭亭向客低   落日(らくじつ)   亭亭(ていてい)として  客に向かって低(た)る
  飛鳥不知陵谷変   飛鳥(ひちょう)は知らず  陵谷(りょうこく)の変
  朝来暮去弋陽谿   朝(あした)に来たり  暮れに去る  弋陽谿(よくようけい)

  ⊂訳⊃
          餘干の古城は  雲に達するほど高く
          遥かな昔から  楚水の西にひとり寂しく立っている
          役所の建物は  秋草に覆われて人の気配もなく
          城壁の上には  女牆だけが残り夜に鴉が鳴いている
          砂浜は平らに  どこまでも続いて心はくらみ
          沈む夕陽が   旅する私を正面から照らす
          空飛ぶ鳥は   人の世の移り変わりを知らず
          朝に来て夕べには去っていく  弋陽の谷へ


 ⊂ものがたり⊃ 詩題の「餘干(よかん)の古城」は江西省にあった古い城で、先秦時代に建てられたといいます。赦されて流謫地の潘州南巴から北へ帰る途中、餘干の地に立ち寄り、その地の官僚たちが催した宴会の席で披露した詩と思われます。
 首聯の二句は古城の全景を描いて導入とします。「楚水」は楚地を流れる川という意味で、古城の近くを流れている川のことでしょう。頷聯の対句は古城のようすです。かつての「官舎」(役所の建物)は草に覆われ、城壁の上に「女牆」(ひめがき)は残っていますが、夜になると鴉が鳴くだけという寂しさです。
 頚聯の対句は城壁の上からの遠景で、「平沙」は川の砂汀でしょう。「人を迷わせて遠く」は心がくらむように果てしないこと、「客に向かって低る」は旅人である自分を正面から照らしていることです。
 尾聯の「陵谷の変」は長い歳月の経過をいう常套句で、陵(おか)が窪んで谷となり、谷が隆起して陵になることをいいます。「弋陽谿」は弋陽から流れ出ている谷川の意味で、鳥たちは毎朝、古城の近くの川に飛んで来て、夕べには弋陽の谷に帰っていくと、自然の営みと人の世の変転を対比して安思の乱後の世の乱れを嘆くのでしょう。
 南巴流謫から赦されたあと、劉長卿は睦州(浙江省建徳市)の司馬になり、随州(湖北省随県)の刺史に移って徳宗の貞元元年(785)ころに亡くなりました。享年は七十七歳くらいです。長命であったこともあり、また詩風から中唐の詩人に位置づけられますが、杜甫より三歳ほどの年長で、杜甫と同時代の詩人です。

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