盛唐61ー劉長卿
穆陵関北逢 穆陵関の北にて人の
人帰漁陽 漁陽に帰るに逢う
逢君穆陵路 君に逢(あ)う 穆陵(ぼくりょう)の路
匹馬向桑乾 匹馬(ひつば) 桑乾(そうかん)に向かう
楚国蒼山古 楚国(そこく) 蒼山(そうざん)古(ふ)り
幽州白日寒 幽州(ゆうしゅう) 白日(はくじつ)寒し
城地百戦後 城地(じょうち) 百戦の後(のち)
耆旧幾家残 耆旧(ききゅう) 幾家(いくか)か残れる
処処蓬蒿徧 処処(しょしょ) 蓬蒿(ほうこう)徧(あまね)く
帰人掩涙看 帰人(きじん) 涙を掩(おお)うて看(み)ん
⊂訳⊃
君と逢った 穆陵関の北の路
馬に乗って 桑乾河に向かうという
楚の地では 緑の山が古寂びているが
幽州の地は 日の光も寒々としているだろう
度々の戦で 城は荒れ果て
旧知の人の 家は何軒残っているだろうか
いたる所に 雑草が生い茂り
帰った者は 涙をおさえて見るだろう
⊂ものがたり⊃ 安禄山の乱のころ、劉長卿は江南にいました。粛宗の至徳年間に観察御史から検校祠部員外郎・転運使判官などを歴任します。詩題の「穆陵関」は安陸(湖北省安陸県)にあり、旅の途中、「漁陽」(河北省薊県付近)に帰る人に逢います。漁陽は安禄山の乱の戦場になった地で、その地にある故郷を訪ねようとしている人に贈った詩です。
「桑乾」は「幽州」(北京市)の西南を流れる川で、北の僻地を指す言葉として用いられます。「楚国」は戦国楚の地域ということで、湖北・湖南一帯です。このあたりの山は緑が鬱蒼としているけれども、幽州の地は戦乱で荒れ果てているだろうと詠います。
詩題では旅の途中で偶然に出会った人のような感じを受けますが、結びの二句を見ると友人のような感じもします。帰ればきっと涙を流すだろうと同情しているようにも見え、行くのを止めているようにも見えます。
穆陵関北逢 穆陵関の北にて人の
人帰漁陽 漁陽に帰るに逢う
逢君穆陵路 君に逢(あ)う 穆陵(ぼくりょう)の路
匹馬向桑乾 匹馬(ひつば) 桑乾(そうかん)に向かう
楚国蒼山古 楚国(そこく) 蒼山(そうざん)古(ふ)り
幽州白日寒 幽州(ゆうしゅう) 白日(はくじつ)寒し
城地百戦後 城地(じょうち) 百戦の後(のち)
耆旧幾家残 耆旧(ききゅう) 幾家(いくか)か残れる
処処蓬蒿徧 処処(しょしょ) 蓬蒿(ほうこう)徧(あまね)く
帰人掩涙看 帰人(きじん) 涙を掩(おお)うて看(み)ん
⊂訳⊃
君と逢った 穆陵関の北の路
馬に乗って 桑乾河に向かうという
楚の地では 緑の山が古寂びているが
幽州の地は 日の光も寒々としているだろう
度々の戦で 城は荒れ果て
旧知の人の 家は何軒残っているだろうか
いたる所に 雑草が生い茂り
帰った者は 涙をおさえて見るだろう
⊂ものがたり⊃ 安禄山の乱のころ、劉長卿は江南にいました。粛宗の至徳年間に観察御史から検校祠部員外郎・転運使判官などを歴任します。詩題の「穆陵関」は安陸(湖北省安陸県)にあり、旅の途中、「漁陽」(河北省薊県付近)に帰る人に逢います。漁陽は安禄山の乱の戦場になった地で、その地にある故郷を訪ねようとしている人に贈った詩です。
「桑乾」は「幽州」(北京市)の西南を流れる川で、北の僻地を指す言葉として用いられます。「楚国」は戦国楚の地域ということで、湖北・湖南一帯です。このあたりの山は緑が鬱蒼としているけれども、幽州の地は戦乱で荒れ果てているだろうと詠います。
詩題では旅の途中で偶然に出会った人のような感じを受けますが、結びの二句を見ると友人のような感じもします。帰ればきっと涙を流すだろうと同情しているようにも見え、行くのを止めているようにも見えます。