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ティェンタオの自由訳漢詩 1967

 盛唐61ー劉長卿
   穆陵関北逢         穆陵関の北にて人の
   人帰漁陽           漁陽に帰るに逢う

  逢君穆陵路     君に逢(あ)う  穆陵(ぼくりょう)の路
  匹馬向桑乾     匹馬(ひつば)  桑乾(そうかん)に向かう
  楚国蒼山古     楚国(そこく)   蒼山(そうざん)古(ふ)り
  幽州白日寒     幽州(ゆうしゅう)  白日(はくじつ)寒し
  城地百戦後     城地(じょうち)   百戦の後(のち)
  耆旧幾家残     耆旧(ききゅう)   幾家(いくか)か残れる
  処処蓬蒿徧     処処(しょしょ)   蓬蒿(ほうこう)徧(あまね)く
  帰人掩涙看     帰人(きじん)    涙を掩(おお)うて看(み)ん

  ⊂訳⊃
          君と逢った  穆陵関の北の路
          馬に乗って  桑乾河に向かうという
          楚の地では  緑の山が古寂びているが
          幽州の地は  日の光も寒々としているだろう
          度々の戦で  城は荒れ果て
          旧知の人の  家は何軒残っているだろうか
          いたる所に  雑草が生い茂り
          帰った者は  涙をおさえて見るだろう


 ⊂ものがたり⊃ 安禄山の乱のころ、劉長卿は江南にいました。粛宗の至徳年間に観察御史から検校祠部員外郎・転運使判官などを歴任します。詩題の「穆陵関」は安陸(湖北省安陸県)にあり、旅の途中、「漁陽」(河北省薊県付近)に帰る人に逢います。漁陽は安禄山の乱の戦場になった地で、その地にある故郷を訪ねようとしている人に贈った詩です。
 「桑乾」は「幽州」(北京市)の西南を流れる川で、北の僻地を指す言葉として用いられます。「楚国」は戦国楚の地域ということで、湖北・湖南一帯です。このあたりの山は緑が鬱蒼としているけれども、幽州の地は戦乱で荒れ果てているだろうと詠います。
 詩題では旅の途中で偶然に出会った人のような感じを受けますが、結びの二句を見ると友人のような感じもします。帰ればきっと涙を流すだろうと同情しているようにも見え、行くのを止めているようにも見えます。

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