盛唐58ー孟浩然
早寒有懐 早寒 懐う有り
木落雁南渡 木(き)落ちて 雁(かり) 南に渡り
北風江上寒 北風(ほくふう) 江上(こうじょう)に寒し
我家襄水曲 我が家は襄水(じょうすい)の曲(くま)
遥隔楚雲端 遥かに隔つ 楚雲(そうん)の端(たん)
郷涙客中尽 郷涙(きょうるい) 客中(かくちゅう)に尽き
孤帆天際看 孤帆(こはん) 天際(てんさい)に看(み)る
迷津欲有問 津(しん)に迷うて問う有らんと欲すれば
平海夕漫漫 平海(へいかい) 夕べに漫漫(まんまん)たり
⊂訳⊃
葉が落ちて 雁は南へ飛び去り
北風が 川のほとりに寒々と吹く
私の家は 襄水の曲流するところにあり
いま私は 楚地の雲から遠く隔たる
望郷の涙は 旅の途中で尽き果て
遥か彼方に 一艘の帆かけ舟
船つき場は 何処にあるかと尋ねたいが
夕暮れの中 水は満々と広がるがかり
⊂ものがたり⊃ 詩題の「早寒」(そうかん)は早く訪れた寒さ。晩秋の夕暮れどき、旅の悲しみと望郷の思いを詠います。はじめの二句で冬近い季節の到来を詠って状況を設定し、中四句で故郷へ帰りたい思いを述べます。
「襄水」は故郷の襄陽を流れる川、その曲流するところに自宅があったようです。襄陽はかつての楚の地ですから「楚雲の端」といい、故郷から遠く離れていることを嘆きます。「孤帆 天際に看る」は遠くをゆく一艘の帆かけ舟、その舟に孤独な旅人である自分を重ねます。李白が孟浩然を見送った詩に似た句がありますが、前後関係は不明です。
結びの二句では、舟上で途方に暮れる心境を述べて深い余韻を残します。「津」は渡し場のことで、人生行路の喩えにもなります。「平海」は長江下流の広い水面をいう場合が多いので、詩は長江下流を旅していたときに作られたものと思われます。
江南の旅のあと、孟浩然は郷里に帰って隠棲の生活にもどりますが、開元二十八年(740)、訪れて来た王昌齢を歓迎して酒を飲み、病気を悪化させて亡くなったといいます。享年は五十二歳です。
早寒有懐 早寒 懐う有り
木落雁南渡 木(き)落ちて 雁(かり) 南に渡り
北風江上寒 北風(ほくふう) 江上(こうじょう)に寒し
我家襄水曲 我が家は襄水(じょうすい)の曲(くま)
遥隔楚雲端 遥かに隔つ 楚雲(そうん)の端(たん)
郷涙客中尽 郷涙(きょうるい) 客中(かくちゅう)に尽き
孤帆天際看 孤帆(こはん) 天際(てんさい)に看(み)る
迷津欲有問 津(しん)に迷うて問う有らんと欲すれば
平海夕漫漫 平海(へいかい) 夕べに漫漫(まんまん)たり
⊂訳⊃
葉が落ちて 雁は南へ飛び去り
北風が 川のほとりに寒々と吹く
私の家は 襄水の曲流するところにあり
いま私は 楚地の雲から遠く隔たる
望郷の涙は 旅の途中で尽き果て
遥か彼方に 一艘の帆かけ舟
船つき場は 何処にあるかと尋ねたいが
夕暮れの中 水は満々と広がるがかり
⊂ものがたり⊃ 詩題の「早寒」(そうかん)は早く訪れた寒さ。晩秋の夕暮れどき、旅の悲しみと望郷の思いを詠います。はじめの二句で冬近い季節の到来を詠って状況を設定し、中四句で故郷へ帰りたい思いを述べます。
「襄水」は故郷の襄陽を流れる川、その曲流するところに自宅があったようです。襄陽はかつての楚の地ですから「楚雲の端」といい、故郷から遠く離れていることを嘆きます。「孤帆 天際に看る」は遠くをゆく一艘の帆かけ舟、その舟に孤独な旅人である自分を重ねます。李白が孟浩然を見送った詩に似た句がありますが、前後関係は不明です。
結びの二句では、舟上で途方に暮れる心境を述べて深い余韻を残します。「津」は渡し場のことで、人生行路の喩えにもなります。「平海」は長江下流の広い水面をいう場合が多いので、詩は長江下流を旅していたときに作られたものと思われます。
江南の旅のあと、孟浩然は郷里に帰って隠棲の生活にもどりますが、開元二十八年(740)、訪れて来た王昌齢を歓迎して酒を飲み、病気を悪化させて亡くなったといいます。享年は五十二歳です。