盛唐29ー王之渙
登鸛鵲楼 鸛鵲楼に登る
白日依山尽 白日(はくじつ) 山に依(よ)って尽(つ)き
黄河入海流 黄河(こうが) 海に入(い)って流る
欲窮千里目 千里の目を窮(きわ)めんと欲して
更上一層楼 更に上(のぼ)る 一層の楼
⊂訳⊃
輝く太陽は 山肌に寄り添うように消えていく
黄河の水は 海へ向かって何処までも流れる
この広大な眺めを見きわめたくて
さらに一階 高楼の階を上る
⊂ものがたり⊃ 王之渙(おうしかん:688ー742)は幷州晋陽(山西省太原市)の人。絳郡(山西省新絳県)の人ともいいます。玄宗の封禅の翌年、開元十四年(726)に三十九歳ですので、崔国輔と同世代です。
科挙に及第せず、経歴は定かでありませんが、作品に浮かれたとろがなく高い精神性が認められます。開元年間に冀州衡水県(河北省)の主簿になりましたが、他人とうまくいかず、辞職して十五年間無官で過ごします。晩年に文安県(河南省)の尉になり、天宝元年(742)に亡くなりました。享年は五十五歳です。
詩題の「鸛鵲楼」(かんじゃくろう)は蒲州(山西省永清県)の西、黄河の中洲にあった河中府城の三層楼です。楼は城壁の西南隅に建っていて、眼下に黄河が南流しています。詩は前二句と後二句がそれぞれ対句になっており、前半は眼前の広大な眺めを「白日」と「黄河」の動きによって描きます。単に景色を描くのではなく、想像を加えて自然を観念に高めていることに注目してください。
後半では眺めに触発された感動を「更に上る 一層の楼」と自分の行動で示しています。そこには詩人としての志も込められていると読むべきでしょう。この詩は唐代五言絶句の秀作として高い評価を得ており、王之渙の代表作です。
登鸛鵲楼 鸛鵲楼に登る
白日依山尽 白日(はくじつ) 山に依(よ)って尽(つ)き
黄河入海流 黄河(こうが) 海に入(い)って流る
欲窮千里目 千里の目を窮(きわ)めんと欲して
更上一層楼 更に上(のぼ)る 一層の楼
⊂訳⊃
輝く太陽は 山肌に寄り添うように消えていく
黄河の水は 海へ向かって何処までも流れる
この広大な眺めを見きわめたくて
さらに一階 高楼の階を上る
⊂ものがたり⊃ 王之渙(おうしかん:688ー742)は幷州晋陽(山西省太原市)の人。絳郡(山西省新絳県)の人ともいいます。玄宗の封禅の翌年、開元十四年(726)に三十九歳ですので、崔国輔と同世代です。
科挙に及第せず、経歴は定かでありませんが、作品に浮かれたとろがなく高い精神性が認められます。開元年間に冀州衡水県(河北省)の主簿になりましたが、他人とうまくいかず、辞職して十五年間無官で過ごします。晩年に文安県(河南省)の尉になり、天宝元年(742)に亡くなりました。享年は五十五歳です。
詩題の「鸛鵲楼」(かんじゃくろう)は蒲州(山西省永清県)の西、黄河の中洲にあった河中府城の三層楼です。楼は城壁の西南隅に建っていて、眼下に黄河が南流しています。詩は前二句と後二句がそれぞれ対句になっており、前半は眼前の広大な眺めを「白日」と「黄河」の動きによって描きます。単に景色を描くのではなく、想像を加えて自然を観念に高めていることに注目してください。
後半では眺めに触発された感動を「更に上る 一層の楼」と自分の行動で示しています。そこには詩人としての志も込められていると読むべきでしょう。この詩は唐代五言絶句の秀作として高い評価を得ており、王之渙の代表作です。