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tiandaoの自由訳漢詩

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     盛唐49ー孟浩然
       望洞庭湖           洞庭湖を望み
       贈張丞相           張丞相に贈る

      八月湖水平     八月  湖水(こすい)平らかに
      涵虚混太清     虚(きょ)を涵(ひた)して太清(たいせい)に混(こん)ず
      気蒸雲夢沢     気は蒸(む)す   雲夢(うんぼう)の沢(たく)
      波撼岳陽城     波は撼(ゆる)がす  岳陽(がくよう)の城
      欲済無舟楫     済(わた)らんと欲するも舟楫(しゅうしゅう)無く
      端居恥聖明     端居(たんきょ)  聖明(せいめい)に恥づ
      坐観垂釣者     坐(そぞ)ろに釣を垂るる者を観(み)て
      徒有羨魚情     徒(いたず)らに 魚(うお)を羨(うらや)むの情(じょう)有り

      ⊂訳⊃
              八月の洞庭湖は  満々と水をたたえ
              虚空に繋がって  天と交じり合う
              雲夢の沢に     靄は立ちこめ
              打ち寄せる波は  岳陽城を揺るがす
              渡ろうと思うが    舟も楫もなく
              無為に過ごす身を 天子に恥じる
              岸辺の釣り人を  しみじみ眺めていると
              釣られる魚が    無性に羨ましくなる


     ⊂ものがたり⊃ 詩題の「張丞相」には岳州刺史に左遷された張説とする説と荊州長史に貶謫された張九齢とする二説があります。詩は前後二つに分けて読むことができ、前半は洞庭湖の叙景です。招かれて洞庭湖に遊び、湖畔の宴席で披露した詩でしょう。
     「雲夢沢」は洞庭湖の北側にあった湿地(古代の湖の跡)で、「岳陽城」(湖南省岳陽市)から大きく左右(南と北)を眺めていることになります。後半は一転して官に仕えたい気持ちの表白、就職運動です。「舟楫」は賢い臣下の喩えで、それが無いというのは自分を推薦してくれる高官がいないという意味です。そのため「端居」(平生のまま過ごす)している自分を天子に恥じると詠います。
     結びの二句は比喩を用いていますが、自分を推挙してほしいという気持ちをはっきりと伝えます。「魚を羨むの情」、つまり釣り人(人材を推挙する人)に釣られる魚が羨ましいと訴えるのです。
     孟浩然が荊州で張九齢に仕えたことから、「張丞相」を張九齢とする説がありますが、その場合は孟浩然五十歳のころの作品になります。詩のあからさまな陳情から考えると若いころに作品と思われ、張説が岳州に左遷されていた開元三年(715)、二十七歳ころの作とするのが妥当でしょう。
      

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     盛唐50ー孟浩然
       送杜十四之江南        杜十四の江南に之くを送る

      荊呉相接水為郷   荊呉(けいご)相接して    水を郷(きょう)と為(な)す
      君去春江正?芒   君去るに春江(しゅんこう)  正(まさ)に?芒(びょうぼう)たり
      日暮孤舟何処泊   日暮(にちぼ)  孤舟(こしゅう)  何処(いずく)にか泊(やど)る
      天涯一望断人腸   天涯一望    人の腸(はらわた)を断つ

      ⊂訳⊃
              荊と呉の地は  互いにつながる水郷だ

              春酣の長江に  水は豊かで果てしない

              日が暮れて   小舟はどこの岸辺に泊るのか

              空の彼方を一望すれば  腸もちぎれるほどだ


     ⊂ものがたり⊃ 詩題の「杜十四」は杜晃(とこう)という人物で進士に及第したという伝があります。杜十四が長江を下って「呉」(蘇州方面)へ行くのを「荊」(襄陽)の地にあっって見送る詩でしょう。
     目の前には春の長江が満々と水を湛えて広がっています。そのことを詠うことで前途を祝福するとともに荊と呉は水で繋がる水郷であると自分との繋がりに期待を寄せます。後半は別れの悲しみを詠うと同時に、進士に及第した杜十四を羨む気持ちも見てとれるでしょう。

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     盛唐51ー孟浩然
       歳暮帰南山           歳暮 南山に帰る

      北闕休上書     北闕(ほくけつ)  上書(じょうしょ)を休(や)め
      南山帰敝廬     南山(なんざん)  敝廬(へいろ)に帰る
      不才明主棄     不才(ふさい)    明主(めいしゅ)に棄てられ
      多病故人疎     多病(たびょう)  故人(こじん)に疎(うと)んぜらる
      白髪催年老     白髪(はくはつ)  年老(ねんろう)を催(もよお)し
      青陽逼歳除     青陽(せいよう)  歳除(さいじょ)に逼(せま)る
      永懐愁不寐     永懐(えいかい)  愁(うれ)えて寐(い)ねず
      松月夜窓虚     松月(しょうげつ) 夜窓(やそう)虚(むな)し

      ⊂訳⊃
              宮城の北門に  上書することをやめ
              終南山の麓の  あばら家に帰ろう
              無能な私は   明君に認められず
              多病の身は   友人からも疎まれる
              白髪も増えて  老いを感じつつ
              年の瀬に     また来る春を懼れている
              いつまでも    つづく悲しみで眠られず
              夜半の窓辺に  月明りの松を虚しく眺める


     ⊂ものがたり⊃ 開元十六年(728)のころ四十歳くらいになった孟浩然は、再度都に出て科挙に挑みますが及第できませんでした。名士の屋敷などに出入りして二、三年を都で過ごします。王昌齢が進士に及第した翌年のころです。
     詩題の「南山」は長安南郊の終南山でしょう。終南山は隠者の住む地とされ、隠者は世に認められるためのポーズでもありました。「北闕」は朝廷に意見書などを差し出す門で、任官をめざす知識人が詩文の才能を認めてもらうために上書をする習慣がありました。だから、再度上京したけれど科挙に及第できず、長安に滞在していたときの作品と思われます。
     はじめの二句は諦めかけている心境を詠い、中四句ではその状況を詳しく述べます。時期は長安滞在二年目の歳末のようです。そして結びは、落胆して眠られず、月に照らされた松の木を虚しく眺めているだけだと詠います。

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     盛唐52ー孟浩然
       留別王維            王維に留別す

      寂寂竟何待     寂寂(せきせき)   竟(つい)に何をか待たん
      朝朝空自帰     朝朝(ちょうちょう)  空(むな)しく自ら帰る
      欲尋芳草去     芳草(ほうそう)を尋ねて去らんと欲するも
      惜与故人違     故人(こじん)と違(たが)わんことを惜(おし)む
      当路誰相仮     当路(とうろ)  誰か相仮(あいか)さん
      知音世所稀     知音(ちいん)  世に稀(まれ)なる所
      秖応守索寞     秖(た)だ応(まさ)に索寞(さくばく)を守るべし
      還掩故園扉     還(かえ)って故園(こえん)の扉を掩(とざ)さん

      ⊂訳⊃
              落ちぶれて  期待もなくなり
              毎日 毎日  空しく家に帰るだけ
              友を求めて  立ち去ろうと思うが
              親しい君と  別れるのが残念だ
              官の要人で  力を貸す者もなく
              いまの世に  私の理解者はいない
              今後はただ  もの寂しい心を抱いて
              故郷に帰り  わが家の門を閉ざしていよう


     ⊂ものがたり⊃ 都では王維らと親交を結びました。王維は孟浩然より十歳ほど年少で、そのころは洛陽付近の任地を転々としていました。詩題の「留別」(りゅうべつ)は旅立つ者が残る者に詩を贈ることです。詩は前後四句ずつに分けて読むことができます。
     はじめに対句で空しく家に帰るだけの毎日を詠い、郷里に帰ろうと思うが「故人」(王維のこと)と別れるのが残念と詠います。「芳草」は楚辞で賢者をいい、楚地(郷里襄陽)の友人といった意味でしょう。
     後半ではまず、帰郷の理由を対人関係で述べます。「知音」には故事があり、春秋時代に伯牙(はくが)という琴の名手がいて、友人の鍾子期(しょうしき)は伯牙の曲をよく理解しました。そのことから「知音」は理解し合える親友の意味になります。結びでは、「索寞」(もの寂しい状態)を心に抱いて故郷に帰り、隠棲しようと思うと述べます。

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     盛唐53ー孟浩然
        春暁              春暁

      春眠不覚暁     春眠(しゅんみん)  暁(あかつき)を覚えず
      処処聞啼鳥     処処(しょしょ)  啼鳥(ていちょう)を聞く
      夜来風雨声     夜来(やらい)  風雨の声
      花落知多少     花落つること  知んぬ  多少(たしょう)ぞ

      ⊂訳⊃
              春の朝寝  夜明けも気づかずに寝過ごした

              あちらこちらで  鳥の囀る声がする

              夕べから  風雨の音がつづいていたが

              花は一体  どれほど散ったであろうか


     ⊂ものがたり⊃ 都で意を得なかった孟浩然は襄陽にもどり、しばらく隠棲生活をおくります。「春眠不覚暁」は普通、春の寝心地のよさと解されていますが、作家の陳舜臣はその夜は風雨の音が気になって眠れなかったので明け方にまどろんだと解しています。「夜来」の来には、ずっとつづいているというニュアンスがあり、一晩中風雨の音がしていたのです。
     人生の不運を嘆く比喩の詩と見る見方もあります。当時の官吏は夜明け前に出勤する定めでした。だから朝寝ができるということは、官職についていないことを意味します。加えて「風雨」には逆境、「花落」には失望や挫折の意味があるのです。つまり、朝の寝床の中で自分の人生の逆境、失望や挫折を悲しんでいると解するのです。
     都での就職活動をあきらめて帰郷した後の作品と見られ、五言絶句の名作として人口に膾炙しています。
     

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     盛唐54ー孟浩然
       過故人荘            故人の荘に過る

      故人具鶏黍     故人(こじん)   鶏黍(けいしょ)を具(そな)え
      邀我至田家     我れを邀(むか)えて田家(でんか)に至らしむ
      緑樹村辺合     緑樹(りょくじゅ)  村辺(そんぺん)に合し
      青山郭外斜     青山(せいざん)  郭外(かくがい)に斜めなり
      開軒面場圃     軒(まど)を開いて場圃(じょうほ)に面(めん)し
      把酒話桑麻     酒を把(と)って桑麻(そうま)を話(かた)る
      待到重陽日     重陽(ちょうよう)の日に到るを待って
      還来就菊花     還(ま)た来たって 菊花(きくか)に就(つ)かん

      ⊂訳⊃
              親しい友が  鶏と黍の料理を用意して
              村の別荘へ  招いてくれた
              緑の樹々は  村をめぐってこんもり茂り
              青い山脈が  郭の向こうに斜めにみえる
              窓を開いて  目の前の畑を眺め
              酒を酌んで  桑や麻のことを語り合う
              重陽節には  またお邪魔して
              菊の花を   いっしょに観賞したいものだ


     ⊂ものがたり⊃ 詩題の「故人」は親友、「荘」は別荘のことで、二句目の「田家」は田舎にある家という意味でしょう。はじめの二句は事情の説明。「鶏黍を具え」は鶏ときびめしのことで、心づくしのご馳走をいいます。
     中四句は二組の対句になっており、まず別荘からの眺め。「緑樹 村辺に合し 青山 郭外に斜めなり」は名句として有名です。「郭」は村を取り巻く牆壁のことで、城壁のように高くないので、その向こうに山の尾根が傾いて見えるのです。つぎの対句は窓辺でくつろぐ二人の姿、陶淵明の詩の風情があります。
     結びの二句は相手への挨拶。九月九日の重陽の節句は菊の花咲く季節で、菊酒を飲むのが習わしでした。その日にまたお邪魔したいと感謝の気持ちを表します。
         

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     盛唐55ー孟浩然
       夏日南亭懐辛大    夏日 南亭にて辛大を懐う

      山光忽西落     山光(さんこう) 忽(たちま)ち西に落ち
      池月漸東上     池月(ちげつ)  漸(ようや)く東に上る
      散髪乗夕涼     髪を散(さん)じて夕涼(せきりょう)に乗(じょう)じ
      開軒臥閑敞     軒(まど)を開いて閑敞(かんしょう)に臥(ふ)す
      荷風送香気     荷風(かふう)  香気(こうき)を送り
      竹露滴清響     竹露(ちくろ)  清響(せいきょう)を滴(したた)らす
      欲取鳴琴弾     鳴琴(めいきん)を取って弾(だん)ぜんと欲するも
      恨無知音賞     恨(うら)むらくは知音(ちいん)の賞(しょう)する無し
      感此懐故人     此(こ)れに感じて故人(こじん)を懐(おも)い
      中宵労夢想     中宵(ちゅうしょう)  夢想(むそう)を労せん

      ⊂訳⊃
              夏の光は  山を照らして西へ沈み
              空の月は  池に映って東に昇る
              髪をほどいて  夕涼みの時を楽しみ
              窓を開いて   静かな広い部屋に横たわる
              風に吹かれて  蓮の花の香りが流れ
              竹の露は    鈴を鳴らして滴るようだ
              琴を取り出し  一曲弾きたい気持ちだが
              残念ながら   耳を傾けてくれる友がいない
              それにつけて  君のことがしきりに思われ
              せめては夜の  夢の中でも思いつづけよう


     ⊂ものがたり⊃ 詩題の「南亭」は孟浩然の隠棲地にあった東屋です。「辛大」は辛という姓の友人で、仏教信者であったようです。詩は中央の二句を前後の四句で囲む特異な形式で、はじめの四句は、夏の日暮れのようすを外景と自分に分けて描き、導入部とします。「髪を散じて」は髪を束ねていない、つまり頭巾を被っていない姿であり、客の予定もなく部屋でくつろいでいる状態です。
     中央の二句は名句として名高い対句で、「閑敞」(静かで広い)の場を嗅覚と聴覚の両面から繊細に描いて感覚的です。この対句が無くても詩の意味は成り立ちますので、あとから付け加えた句とする説が行われていますが、この対句がなければ平凡な作品になってしまいます。ここがこの詩の重要な注目点です。
     後の四句では「荷風」の香気と「竹露」の清響に触発されて琴を弾きたいと思いますが、ここには「知音」(語り合える友)がいないと、「辛大」を懐かしく思う気持ちを述べて結びとします。
     

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     盛唐56ー孟浩然
       宿業師山房         業師の山房に宿して
       期丁大不至         丁大を期するも至らず

      夕陽度西嶺     夕陽(せきよう)   西嶺(せいれい)に度(わた)り
      群壑倏已暝     群壑(ぐんがく)   倏(たちま)ち已(すで)に暝(くら)し
      松月生夜涼     松月(しょうげつ)  夜涼(やりょう)を生じ
      風泉満清聴     風泉(ふうせん)  清聴(せいちょう)を満たす
      樵人帰欲尽     樵人(しょうじん)  帰りて尽(つ)きんと欲し
      煙鳥棲初定     煙鳥(えんちょう)  棲(す)みて初めて定(さだ)まる
      之子期末来     之(こ)の子(こ)   期して末(いま)だ来たらず
      孤琴候蘿逕     孤琴(こきん)    蘿逕(らけい)に候(ま)つ

      ⊂訳⊃
              日暮の太陽は  西の山並を過ぎてゆき
              辺りの谷間は  急速に暗くなる
              松陰の月は   夜の涼しさを呼び覚まし
              風に吹かれて  泉は爽やかな音を立てる
              樵たちは     家路についていなくなり
              夕靄のなか   鳥は塒で寝静まる
              丁君は来る予定だが  まだ来ない
              だから私は琴を抱き  蔦の小径で待っている


     ⊂ものがたり⊃ 詩題の「業師」(ぎょうし)は僧侶の名。その山寺に宿泊して「丁大」(ていだい)を待っているときの詩です。詩中に「之の子」とあるので、丁大は年少の友人でしょう。はじめの二句で夕陽の動きを描き、時刻を設定します。
     中四句は二組の対句からなり、月と泉、樵と鳥の動きで日暮れのようすを描きます。結びは孟浩然の優しい心根を示しており、この句はマーラーの「大地の歌」のフィナーレ、第六楽章の歌詞に取り入れられていることで、欧米でも有名です。 

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     盛唐57ー孟浩然
       宿建徳江           建徳江に宿す

      移舟泊煙渚     舟を移して煙渚(えんしょ)に泊(はく)し
      日暮客愁新     日暮(にちぼ)  客愁(かくしゅう)新たなり
      野曠天低樹     野(の)曠(ひろ)くして  天  樹(き)に低(た)れ
      江清月近人     江(こう)清(きよ)くして  月  人に近し

      ⊂訳⊃
              舟を岸辺に寄せ  薄靄の漂う中洲に泊まる

              日暮れになって  旅の悲しみが湧き起こる

              野は遥々と広く  空は樹々の上に垂れている

              流れは清らかで  月が近くに寄って来るようだ


     ⊂ものがたり⊃ 襄陽で隠棲していたとき、荊州(湖北省江陵県)長史に流されてきた張九齢に仕えますが、それも永くはつづかず、辞任して江南を旅します。詩題の「建徳江」(けんとくこう)は長江の下流付近を流れる川とも、銭塘江(浙江省)の中流部ともいいます。寂しい岸辺に舟を泊めたときの一夜の感懐です。
     「煙渚」の渚は中洲をいうことが多く、靄に包まれた中洲に舟を繋いだのでしょう。後半は舟上からの眺めです。まず野原の方を見ると、「天 樹に低れ」ており、作者の鬱屈した心情の比喩ともなっています。
     川の流れに目を移すと、「月 人に近し」とあります。流れに影を映した月が自分に近づいて来るように思われた。そう詠うことによって、孤独な自分の境遇に同情する人を求めている。そんな気持ちを比喩的に表現したとも考えられます。

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     盛唐58ー孟浩然
       早寒有懐          早寒 懐う有り

      木落雁南渡     木(き)落ちて   雁(かり)  南に渡り
      北風江上寒     北風(ほくふう)  江上(こうじょう)に寒し
      我家襄水曲     我が家は襄水(じょうすい)の曲(くま)
      遥隔楚雲端     遥かに隔つ    楚雲(そうん)の端(たん)
      郷涙客中尽     郷涙(きょうるい)   客中(かくちゅう)に尽き
      孤帆天際看     孤帆(こはん)  天際(てんさい)に看(み)る
      迷津欲有問     津(しん)に迷うて問う有らんと欲すれば
      平海夕漫漫     平海(へいかい)   夕べに漫漫(まんまん)たり

      ⊂訳⊃
              葉が落ちて  雁は南へ飛び去り
              北風が     川のほとりに寒々と吹く
              私の家は   襄水の曲流するところにあり
              いま私は    楚地の雲から遠く隔たる
              望郷の涙は  旅の途中で尽き果て
              遥か彼方に  一艘の帆かけ舟
              船つき場は  何処にあるかと尋ねたいが
              夕暮れの中  水は満々と広がるがかり


     ⊂ものがたり⊃ 詩題の「早寒」(そうかん)は早く訪れた寒さ。晩秋の夕暮れどき、旅の悲しみと望郷の思いを詠います。はじめの二句で冬近い季節の到来を詠って状況を設定し、中四句で故郷へ帰りたい思いを述べます。
     「襄水」は故郷の襄陽を流れる川、その曲流するところに自宅があったようです。襄陽はかつての楚の地ですから「楚雲の端」といい、故郷から遠く離れていることを嘆きます。「孤帆 天際に看る」は遠くをゆく一艘の帆かけ舟、その舟に孤独な旅人である自分を重ねます。李白が孟浩然を見送った詩に似た句がありますが、前後関係は不明です。
     結びの二句では、舟上で途方に暮れる心境を述べて深い余韻を残します。「津」は渡し場のことで、人生行路の喩えにもなります。「平海」は長江下流の広い水面をいう場合が多いので、詩は長江下流を旅していたときに作られたものと思われます。
     江南の旅のあと、孟浩然は郷里に帰って隠棲の生活にもどりますが、開元二十八年(740)、訪れて来た王昌齢を歓迎して酒を飲み、病気を悪化させて亡くなったといいます。享年は五十二歳です。

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     盛唐59ー劉長卿
       逢雪宿芙         雪に逢って芙蓉山
       蓉山主人         主人のもとに宿る

      日暮蒼山遠     日暮れて蒼山(そうざん)遠く
      天寒白屋貧     天(てん)寒くして白屋(はくおく)貧し
      柴門聞犬吠     柴門(さいもん)に犬の吠(ほ)ゆるを聞く
      風雪夜帰人     風雪(ふうせつ)  夜帰(やき)の人

      ⊂訳⊃
              日が落ちて  山は蒼く幽かになり

              寒気深まるなか  茅葺きの貧しげな家に宿る

              柴門のあたりで  犬の吠え声がし

              吹雪のなか  夜中に帰って来た人がある


     ⊂ものがたり⊃ 劉長卿(709?ー785?)は河間(河北省河間県)の人。宣州(安徽省宣城県)の人ともいいます。若いころ嵩山に籠もって読書をしたあと、鄱陽(江西省波陽県)に移住しました。開元二十一年(733)、二十五歳のころ進士に及第し、長州(江蘇省)の県尉になります。
     詩題の「芙蓉山」(ふようざん)は不明ですが、旅の途中、吹雪に逢って芙蓉山の麓の民家に一夜の宿を借りたときの詩でしょう。「白屋」は茅葺きの家。狭い家なので、夜中に屋外の物音や人の出入りする音が聞こえて来ます。その物音に耳をすませている作者のもの寂しい姿が浮かんできます。

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     盛唐60ー劉長卿
       送霊?上人          霊?上人を送る

      蒼蒼竹林寺     蒼蒼(そうそう)たる竹林寺(ちくりんじ)
      杳杳鐘声晩     杳杳(ようよう)たる鐘声(しょうせい)の晩(ばん)
      荷笠帯夕陽     笠(かさ)を荷(にな)って夕陽(せきよう)を帯び
      青山独帰遠     青山(せいざん)に独り帰ること遠し

      ⊂訳⊃
              鬱蒼と茂る  竹林のなかの竹林寺

              遠く幽かに  日暮れの鐘の音がする

              荷った笠に  照り映える夕陽をあびて

              山の中へと  遠ざかりゆく僧形ひとつ


     ⊂ものがたり⊃ 詩題の「霊?上人」(れいてつしょうにん)は会稽(浙江省紹興市)の人。当時著名の詩僧でした。詩中の「竹林寺」は閏州(江蘇省鎮江市)にあった古刹で、行脚中の霊?上人がこの寺に泊まっていました。宿所の寺に帰る上人を見送る詩で、常建の禅詩を継ぐ風格があります。

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     盛唐61ー劉長卿
       穆陵関北逢         穆陵関の北にて人の
       人帰漁陽           漁陽に帰るに逢う

      逢君穆陵路     君に逢(あ)う  穆陵(ぼくりょう)の路
      匹馬向桑乾     匹馬(ひつば)  桑乾(そうかん)に向かう
      楚国蒼山古     楚国(そこく)   蒼山(そうざん)古(ふ)り
      幽州白日寒     幽州(ゆうしゅう)  白日(はくじつ)寒し
      城地百戦後     城地(じょうち)   百戦の後(のち)
      耆旧幾家残     耆旧(ききゅう)   幾家(いくか)か残れる
      処処蓬蒿徧     処処(しょしょ)   蓬蒿(ほうこう)徧(あまね)く
      帰人掩涙看     帰人(きじん)    涙を掩(おお)うて看(み)ん

      ⊂訳⊃
              君と逢った  穆陵関の北の路
              馬に乗って  桑乾河に向かうという
              楚の地では  緑の山が古寂びているが
              幽州の地は  日の光も寒々としているだろう
              度々の戦で  城は荒れ果て
              旧知の人の  家は何軒残っているだろうか
              いたる所に  雑草が生い茂り
              帰った者は  涙をおさえて見るだろう


     ⊂ものがたり⊃ 安禄山の乱のころ、劉長卿は江南にいました。粛宗の至徳年間に観察御史から検校祠部員外郎・転運使判官などを歴任します。詩題の「穆陵関」は安陸(湖北省安陸県)にあり、旅の途中、「漁陽」(河北省薊県付近)に帰る人に逢います。漁陽は安禄山の乱の戦場になった地で、その地にある故郷を訪ねようとしている人に贈った詩です。
     「桑乾」は「幽州」(北京市)の西南を流れる川で、北の僻地を指す言葉として用いられます。「楚国」は戦国楚の地域ということで、湖北・湖南一帯です。このあたりの山は緑が鬱蒼としているけれども、幽州の地は戦乱で荒れ果てているだろうと詠います。
     詩題では旅の途中で偶然に出会った人のような感じを受けますが、結びの二句を見ると友人のような感じもします。帰ればきっと涙を流すだろうと同情しているようにも見え、行くのを止めているようにも見えます。

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     盛唐62ー劉長卿
       重送裴郎中           重ねて裴郎中の吉州
       貶吉州              に貶せらるるを送る

      猿啼客散暮江頭   猿(さる)啼(な)き  客は散ず  暮江(ぼこう)の頭(ほとり)
      人自傷心水自流   人は自(おのず)から心を傷ましめ  水は自から流る
      同作逐臣君更遠   同(とも)に逐臣(ちくしん)と作(な)りて 君 更に遠し
      西山万里一孤舟   西山万里(せいざんばんり)   一孤舟(いちこしゅう)

      ⊂訳⊃
              暮れ方の川のほとりで  猿は鳴き二人は別れる

              人は悲しむ心を持つが  水は無心に流れていく

              同じ流罪の身であるが  君と別れてさらに遠く

              西山万里のかなたへと  私は消えゆく一孤舟


     ⊂ものがたり⊃ 劉長卿は転運使関係の仕事をしていたようですが、誣奏(ぶそう)によって姑蘇(江蘇省蘇州市)の獄に繋がれ、潘州南巴(広東省茂名県の東南)の県尉に流されます。詩題の「裴郎中」(はいろうちゅう)は伝不明です。劉長卿が南巴に流されるとき、途中で「吉州」(江西省吉安県)に流される裴郎中といっしょになりました。やがて別れるときがきて、渡津で別れの詩を贈りました。
     起句の「 客は散ず」は旅人である二人が別れることです。承句は人は有情であるが水は無情、性質を異にしているので、川の水に人の悲しみが分かるわけはないと歎くのです。劉長卿の流謫地南巴は吉州よりも遥か南です。だから転句は、同じ逐臣だけど、わたしは「君」(裴郎中)から離れてさらに遠い地へ行くという意味になります。そして結びで、自分の姿を「西山万里」の彼方へゆく「一孤舟」に喩えて詠嘆します。

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     盛唐63ー劉長卿
        登餘干古城           餘干の古城に登る

      孤城上与白雲斉   孤城(こじょう)  上(かみ)は白雲(はくうん)と斉(ひと)し
      万古蕭条楚水西   万古(ばんこ)   蕭条(しょうじょう)たり  楚水(そすい)の西
      官舎已空秋草没   官舎(かんしゃ)  已(すで)に空しくして秋草(しゅうそう)没し
      女牆猶在夜烏啼   女牆(じょしょう)  猶(な)お在りて夜烏(やう)啼く
      平沙渺渺迷人遠   平沙(へいさ)   渺渺(ひょうびょう)として  人を迷わせて遠く
      落日亭亭向客低   落日(らくじつ)   亭亭(ていてい)として  客に向かって低(た)る
      飛鳥不知陵谷変   飛鳥(ひちょう)は知らず  陵谷(りょうこく)の変
      朝来暮去弋陽谿   朝(あした)に来たり  暮れに去る  弋陽谿(よくようけい)

      ⊂訳⊃
              餘干の古城は  雲に達するほど高く
              遥かな昔から  楚水の西にひとり寂しく立っている
              役所の建物は  秋草に覆われて人の気配もなく
              城壁の上には  女牆だけが残り夜に鴉が鳴いている
              砂浜は平らに  どこまでも続いて心はくらみ
              沈む夕陽が   旅する私を正面から照らす
              空飛ぶ鳥は   人の世の移り変わりを知らず
              朝に来て夕べには去っていく  弋陽の谷へ


     ⊂ものがたり⊃ 詩題の「餘干(よかん)の古城」は江西省にあった古い城で、先秦時代に建てられたといいます。赦されて流謫地の潘州南巴から北へ帰る途中、餘干の地に立ち寄り、その地の官僚たちが催した宴会の席で披露した詩と思われます。
     首聯の二句は古城の全景を描いて導入とします。「楚水」は楚地を流れる川という意味で、古城の近くを流れている川のことでしょう。頷聯の対句は古城のようすです。かつての「官舎」(役所の建物)は草に覆われ、城壁の上に「女牆」(ひめがき)は残っていますが、夜になると鴉が鳴くだけという寂しさです。
     頚聯の対句は城壁の上からの遠景で、「平沙」は川の砂汀でしょう。「人を迷わせて遠く」は心がくらむように果てしないこと、「客に向かって低る」は旅人である自分を正面から照らしていることです。
     尾聯の「陵谷の変」は長い歳月の経過をいう常套句で、陵(おか)が窪んで谷となり、谷が隆起して陵になることをいいます。「弋陽谿」は弋陽から流れ出ている谷川の意味で、鳥たちは毎朝、古城の近くの川に飛んで来て、夕べには弋陽の谷に帰っていくと、自然の営みと人の世の変転を対比して安思の乱後の世の乱れを嘆くのでしょう。
     南巴流謫から赦されたあと、劉長卿は睦州(浙江省建徳市)の司馬になり、随州(湖北省随県)の刺史に移って徳宗の貞元元年(785)ころに亡くなりました。享年は七十七歳くらいです。長命であったこともあり、また詩風から中唐の詩人に位置づけられますが、杜甫より三歳ほどの年長で、杜甫と同時代の詩人です。

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     盛唐64ー賈至
       春思 其一              春思  其の一

      草色青青柳色黄   草色(そうしょく)青青(せいせい)として  柳色(りゅうしょく)黄なり
      桃花歴乱李花香   桃花(とうか)歴乱(れきらん)として    李花(りか)香(かんば)し
      東風不為吹愁去   東風(とうふう)   為(ため)に愁いを吹き去らず
      春日偏能惹恨長   春日(しゅんじつ)  偏(ひと)えに能(よ)く恨(うら)みを惹(ひ)いて長し

      ⊂訳⊃
              若草は青々と茂り  柳の新芽はこがね色

              桃の花は咲き乱れ  李の花は匂い立つ

              だが 春風は     愁いを払ってはくれず

              春の日に私の胸は  尽きぬ嘆きで一杯になる


     ⊂ものがたり⊃ 開元二十一年(733)から開元二十四年(736)までの四年間は、張九齢と李林甫(りりんぽ)が政権を争った期間にあたります。進士出身と恩陰系の権力闘争です。開元二十五年(737)に張九齢は荊州(湖北省江陵県)長史に左遷され、進士出身者の政権は終わりを告げます。
     開元二十三年(735)に三人の詩人が進士に及第して流入(官吏になること)します。賈至と李華と李頎です。賈至(かし:718ー772)は洛陽の人。十八歳で進士に及第し、王維らと詩の贈答もしました。
     詩題の「春思」(しゅんし)は楽府題です。起承の二句で春の繚乱を詠い、転結句で春の日の感傷を詠います。其の二の詩によって詩の主人公は女性と解されますので、女性に成り代わって詠っている詩とも考えられます。とすれは、起承句は女性たちが自分の姿を「私たちはこんなですよ」と言っていることになります。

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     盛唐65ー賈至
       春思 其二               春思  其の二

      紅粉当壚弱柳垂   紅粉(こうふん)して壚(ろ)に当たれば弱柳(じゃくりゅう)垂(た)れ
      金花臘酒解酴醿   金花(きんか)の臘酒(ろうしゅ)  酴醿(とび)を解(と)く
      笙歌日暮能留客   笙歌(しょうか)  日暮(にちぼ)  能(よ)く客を留め
      酔殺長安軽薄児   酔殺(すいさつ)す  長安(ちょうあん)軽薄(けいはく)の児(じ)

      ⊂訳⊃
              化粧してお店に出れば  しだれ柳の立ち姿

              金花の新酒 極上の酒  あなたのために開けました

              日が落ちても笛と酒    客を返しはいたしません

              長安の浮かれた男たち  酔いつぶしてみせますよ


     ⊂ものがたり⊃ 酒楼の女性に成り代わって酒場の女の心意気を詠います。「紅粉」は紅と白粉で、化粧すること。「当壚」はの飲み屋の店に出ることです。「弱柳垂れ」は店の前の柳と解することもできますが、ここでは自分の姿を柳に喩えていると解しました。
     「金花」は酒の色とも酒の名ともいいますが不詳です。「臘酒」は前年の暮れに仕込んだ酒、新酒です。「酴醿」は特殊な醸造酒で、唐の宮中では寒食の日(陽暦四月三日または四日)に、百官に酒を賜わる習わしでした。恩賜の酒、極上の酒のことです。
     全篇に盛唐の華やかさの溢れる詠い振りで、安史の乱以前の若いころの作品でしょう。

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     盛唐66ー賈至
       早朝大明宮              早に大明宮に朝し
       呈両省僚友              両省の僚友に呈す

      銀燭朝薫紫陌長   銀燭(ぎんしょく)  朝(あした)に薫(くん)じて紫陌(しはく)長し
      禁城春色暁蒼蒼   禁城の春色(しゅんしょく)  暁(あかつき)に蒼蒼(そうそう)たり
      千条弱柳垂青琑   千条の弱柳(じゃくりゅう)は青琑(せいさ)に垂(た)れ
      百囀流鶯繞建章   百囀(ひゃくてん)の流鶯(りゅうおう)は建章(けんしょう)を繞(むぐ)る
      剣珮声随玉墀歩   剣珮(けんぱい)  声は玉墀(ぎょくち)の歩(ほ)に随い
      衣冠身惹御炉香   衣冠(いかん)   身には御炉(ぎょろ)の香(こう)を惹(ひ)けり
      共沐恩波鳳池上   共に恩波(おんぱ)に沐(もく)す  鳳池(ほうち)の上(ほと)り
      朝朝染翰侍君王   朝朝(ちょうちょう)  翰(かん)を染めて君王(くんおう)に侍(じ)せん

      ⊂訳⊃
              銀色の光を放つ燭は  朝まで燃えて都大路は横たわる
              春の禁裏の夜明けは  まだ明けきらず薄暗い
              青琑の門の窓外には  しだれ柳が無数の枝を垂れ
              鶯は鳴き交わしつつ  宮殿のまわりを飛びまわる
              宮中の玉墀を歩めば  腰の剣や佩玉は鳴り
              身につけた衣冠には  天子の香炉の香りがこもる
              中書省に起用されて  共に皇恩をあびている
              されば勤めを怠らず   心からわが君にお仕えしよう


     ⊂ものがたり⊃ 賈至(かし)は累進して起居舎人・知制誥になりますが、安禄山の乱に遭遇します。天宝十五載(756)六月十三日未明、玄宗皇帝は長安を脱出して蜀に向かい、賈至も皇帝に随って蜀に避難しました。
     玄宗と別れた皇太子は七月に霊武(寧夏回族自治区霊武県)で即位し、至徳と改元します。この即位は玄宗の譲位に基づくものではなかったので、皇太子から即位の報せを受けた玄宗は上皇となることを受け入れ、帝位を譲る詔書を霊武に送ります。その詔書の起草を命じられたのが成都で中書舎人になっていた賈至で、玄宗の使者として詔書を霊武に届け、そのまま粛宗に仕えます。
     粛宗の軍は至徳二年(757)九月に長安を回復し、十月二十三日に粛宗は都に帰還します。賈至も随行して中書舎人(正五品上)として粛宗に仕えました。掲げた詩は乾元元年(758)春に同僚に贈ったものです。
     詩題の「大明宮」(だいめいきゅう)は長安城の東北に接して造られていた政務の場所です。「両省」は唐三省のうち大明宮内にあった中書省と門下省のことで、そのころ王維も岑参(しんじん)も杜甫も朝廷に仕えていました。賈至の詩はこれらの友人に贈ったもので、王維と岑参が唱和しています。
     詩はまず首聯の二句で大明宮の早朝の時刻を設定します。当時の官吏は夜明け前に出仕する習わしでした。「銀燭」は白銀のような光を放つ灯火、「紫陌」は都の大路のことです。「禁城」は禁裏、ここでは大明宮のことであり、燭で明るい宮門に立って長安城内を見わたしているのでしょう。大明宮は小高い場所にありました。
     頷聯の対句は宮殿の庭のようすです。「青琑」は窓の縁が青く塗られた宮門のことで、そこに植えられている柳は無数の枝を垂れ、鶯が鳴きながら宮殿のまわりを飛びまわっています。「建章」は漢代の宮殿の名ですので、大明宮を雅していうのです。
     頚聯の対句は宮殿内を歩く自分の姿でしょう。「玉墀」は玉を敷き詰めた墀で、墀は宮殿の階段を上がったところをいいます。「御炉」は天子の香炉で、御座の大堂に置かれていました。
     尾聯の二句は皇帝のご恩に感じて共に忠勤に励もうという結びの言葉です。「鳳池」は鳳凰の池のことですが、中書省の雅称として用いられます。中書舎人は中書省に属していました。「翰を染めて」は筆で字を書くこと、文官として勤めに励む意味です。粛宗のはじめ、諸官は新政の希望に溢れていました。賈至のこの詩が、そのことをよく表しています。

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     盛唐67ー賈至
        西亭春望              西亭春望

      日長風暖柳青青   日は長く風は暖かにして柳青青(せいせい)たり
      北雁帰飛入窅冥   北雁(ほくがん)帰り飛んで窅冥(ようめい)に入る
      岳陽城上聞吹笛   岳陽城上(がくようじょうじょう)  笛を吹くを聞けば
      能使春心満洞庭   能(よ)く春心(しゅんしん)をして洞庭に満たしむ

      ⊂訳⊃
              春の日は長く風は暖か 柳は青々と芽吹く

              雁は北へと飛び去り   大空に消えた

              岳陽城の城頭で     笛の音を聞けば

              春の愁いは胸に満ち   洞庭湖上に満ちわたる


     ⊂ものがたり⊃ 上皇になった玄宗もほどなく長安に帰ってきますが、自分の許しもなく即位し、事後承認させられた粛宗と不和になります。そうしたこともあって、朝廷内に派閥の争いが生じたようです。戦後の諸問題もかかえて、政府は多難でした。
     賈至は忠勤に励むつもりでしたが、ほどなく弾劾されて岳州(湖南省岳陽市)に流されます。詩は岳州に流されたときのもので、「春望」(春の眺め)と題されていますが、貶謫の愁いが込められています。
     詩題中の「西亭」(せいてい)は岳陽城の西方、洞庭湖に近いところにあったと見られます。「北雁」は北へ帰る雁であり、北は都の方角です。「窅冥」は深遠でよく見えないこと。大空を意味し、暗に長安の意向を諷刺するのでしょう。

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     盛唐68ー賈至
       初至巴陵与李十二       初めて巴陵に至り 李十二
       白同泛洞庭湖          白と同に洞庭湖に泛ぶ

      楓岸粉粉落葉多   楓岸(ふうがん)粉粉(ふんぷん)として落葉(らくよう)多し
      洞庭秋水晩来波   洞庭の秋水(しゅうすい)   晩来(ばんらい)波だつ
      乗興軽舟無近遠   興(きょう)に乗じては軽舟  近遠(きんえん)無し
      白雲明月弔湘娥   白雲明月  湘娥(しょうが)を弔(とむら)わん

      ⊂訳⊃
              楓樹の繁る岸辺に  落ち葉ははらはらと散り

              秋の洞庭湖の水は  日暮れになると波立って来る

              趣くままに舟を出し  あちらこちらへ漕ぎまわり

              明月にかかる白雲  湘江の女神をとむらおう


     ⊂ものがたり⊃ 詩題の「巴陵」(はりょう)は岳州巴陵(湖南省岳陽市)、岳陽のことです。「李十二白」は詩人の李白のこと。賈至を訪ねて岳陽にやってきた李白と洞庭湖で舟遊びをしたときの作品です。同じく江南に流されてきていた刑部侍郎李曄(りよう)も同行して、三人の交遊でした。
     結びの「白雲明月 湘娥を弔わん」には流謫の身を自嘲する気持ちが込められているようです。「湘娥」は帝堯の娘で帝舜の妻になった姉妹のこと。舜が南方を巡察中に亡くなったのを悲しみ、湘江に身を投げて神になりました。「湘娥」は洞庭湖の神でもありますので、幸運を神に祈ろうと笑って詠う感じです。

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