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tiandaoの自由訳漢詩

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     中唐11ー顧況
        聴角思帰         角を聴いて帰らんことを思う

      故園黄葉満青苔   故園(こえん)の黄葉(こうよう)  青苔(せいたい)に満つ
      夢後城頭暁角哀   夢後(むご)  城頭(じょうとう)  暁角(ぎょうかく)哀し
      此夜断腸人不見   此の夜(よ)断腸(だんちょう)す 人見えざるに
      起行残月影徘徊   起ちて行けば  残月  影(かげ)徘徊(はいかい)す

      ⊂訳⊃
              故郷の庭に秋の黄葉が  青苔の上一面に散っている

              夢から覚めれば城壁の  夜明けの角笛が身にしみる

              今夜の夢に人は現れず  腸もちぎれるほどだ

              起き出して庭を歩めば  月明かりのなか影が一緒にゆれ動く


     ⊂ものがたり⊃ 詩題の「角」(かく)は軍中で用いる角笛のことで、「思帰」は望郷の念をいいます。宰相の李泌(りひつ)が没したとき、顧況は嘲笑的な詩を書いたため、饒州(江西省波陽県)の司戸参軍に左遷されました。詩はそのときの作品でしょう。
     起句は故郷のようすを夢にみたのです。「暁角」は暁を告げる角笛のことで、城壁の上から響いて来ます。「人見えざるに」は語り合える人がいないと解せますが、ここでは思う人(故郷の妻など)と考えました。
     結句の「残月 影徘徊す」は曹植の「七哀詩」(平成25年2月16日、17日のブログ参照)を踏まえており、月明かりに照らし出された自分の影といっしょにあてもなく歩きまわるのです。顧況はやがて職を辞し、家族を連れて茅山(江蘇省句容県の東南)に籠もりますが、最後は行方不明といいます。九十歳くらいで死んだとされています。 

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     中唐12ー載叔倫
        湘南即事             湘南即事

      盧橘花開楓葉衰   盧橘(ろきつ)  花開いて  楓葉(ふうよう)衰(おとろ)う
      出門何処望京師   門を出でて何(いず)れの処にか京師(けいし)を望まん
      沅湘日夜東流去   沅湘(げんしょう)  日夜  東に流れて去り
      不為愁人往少時   愁人(しゅうじん)の為に往(とど)まること少時(しばらく)もせず

      ⊂訳⊃
              金柑の花が咲き    楓葉は紅葉して散っていく

              門を出て都を望むが 方角も分からない

              沅水と湘水は     休むことなく東に流れ

              愁いに沈む私の為に しばしも留まってはくれないのだ


     ⊂ものがたり⊃ 載叔倫(たいしゅくりん:732ー789)は閏州金壇(江蘇省金壇県)の人。二十三歳のとき安史の乱に遭遇し、乱を避けて鄱陽(江西省波陽県)に移住しました。貞元十六年(800)に白居易と同年で進士に及第したとありますが、死後になりますので何かの誤りでしょう。流入して杭州新城(浙江省富陽県)の県令などを務めます。
     詩題の「湘南」(しょうなん)は湖南のことで、載叔倫が一時、曹王李皐(りこう)の幕下にあったときの作品とされます。起句で湖南の秋を設定し、承句は都を離れて月日が経ったことをいう常套句です。
     沅水は西から、湘水は南から洞庭湖に注ぎますが、一般に太河が流れることを東流というのでしょう。川の流れも私に目をくれないで流れ去ると、僻地で見捨てられている身を歎きます。

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     中唐13ー載叔倫
        女耕田行             女耕田行         (前半十句)

      乳燕入巣笋成竹   乳燕(にゅうえん)  巣に入って  笋(たけのこ)  竹と成る
      誰家二女種新穀   誰(た)が家の二女ぞ  新穀(しんこく)を種(う)うる
      無人無牛不及犁   人無く  牛無くして犁(す)くに及ばず
      持刀斫地翻作泥   刀(かたな)を持し  地を斫(き)りて  翻(かえ)して泥(どろ)と作(な)す
      自言家貧母年老   自ら言う  家貧にして  母は年老い
      長兄従軍未娶嫂   長兄は軍に従って  未だ嫂(あによめ)を娶(めと)らず
      去年災疫牛囤空   去年  災疫(さいえき)ありて牛囤(ぎゅうとん)空(むな)し
      截絹売刀都市中   絹を截(た)ち  刀を売る  都市の中(うち)
      頭布掩面畏人識   頭布(ずきん)  面(おもて)を掩(おお)って人の識るを畏(おそ)る
      以刀代牛誰与同   刀を以て牛に代うる  誰と与(とも)にか同じゅうせん

      ⊂訳⊃
              親燕は巣に入り  竹の子が竹となる季節
              どこの娘だろう  二人で種を撒いている
              人手がなく牛もおらず  耕すことができずに
              刃物で地面を掘り返している
              彼女らが言うには   「家は貧しく母は老い
              長兄は兵隊に取られ  嫁も迎えておりません
              去年は天災と疫病で  牛小屋は空っぽになり
              絹を切り刀を売りに  街に出かけていきました
              人に見られないよう  頭巾で顔を隠しましたが
              刀を牛に換えるなど  みっともないことです」


     ⊂ものがたり⊃ 詩題の「女耕田行」(じょこうでんこう)は載叔倫が新しく作った楽府題で、杜甫の「兵車行」と同じく白居易の「新楽府」に先行する新詩題です。意味は畑を耕す娘の歌。
     前半十句のはじめ四句は初夏、畑仕事をする姉妹の姿を描いて導入とします。当時は若い娘が二人だけで畑仕事をするのは珍しかったのでしょう。見ていると鍬や鋤を持っておらず、刃物で土を掘り返しています。
     つぎの六句は作者の問いに答える姉妹の言葉で、締めくくりの言葉「刀を以て牛に代うる  誰と与にか同じゅうせん」に士階級らしい倫理観が示されています。 

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     中唐14ー載叔倫
        女耕田行             女耕田行         (後半八句)

      姉妹相携心正苦   姉妹(しまい)  相携(あいたずさ)えて  心  正(まさ)に苦しく
      不見路人唯見土   路人(ろじん)を見ずして  唯  土を見る
      疎通畦隴防乱苗   畦隴(あいろう)を疎通(そつう)して乱苗(らんびょう)を防ぎ
      整頓溝塍待時雨   溝塍(こうしょう)を整頓(せいとん)して時雨(じう)を待つ
      日正南岡下餉帰   日  正(まさ)に南岡(なんこう)にして  下って餉帰(しょうき)すれば
      可憐朝雉擾驚飛   憐(あわれ)む可(べ)し  朝雉(ちょうち)  擾(みだ)れて驚飛(きょうひ)す
      東隣西舎花発尽   東隣(とうりん)  西舎(せいしゃ)  花  発(ひら)き尽くし
      共惜余芳涙満衣   共に余芳(よほう)を惜(おし)んで  涙  衣(ころも)に満つ

      ⊂訳⊃
              姉妹は農作業に励むが  心の内はつらそうだ
              道ゆく人に目を向けず   畑の土を見詰めている
              畝を盛り上げて  苗が正しく伸びるようにし
              溝と畔を整えて  恵みの雨を待つ
              太陽が南の丘の上に来て  食事に帰ろうとすると
              悲しいことに   つがいの雉が乱れ飛ぶ
              東隣りも西の家も    花の季節は終わり
              残りの花を惜しみつつ  涙を流すだけなのだ


     ⊂ものがたり⊃ 後半八句のはじめ四句では、姉妹の働く姿を描きながらその胸の内を想像します。姉妹は女だけで畑仕事をしているのが恥かしいのです。しかし、よい収穫を願って必死に畑を整えています。
     結びの四句では昼休みの時刻になり、「餉」(弁当)を取るために畑を下りて帰ろうとしました。すると草むらから「朝雉」(つがいの雉)が驚いて飛び立ちました。ここで「憐む可し」と言っているのは、結婚もできないでいる姉妹を歎くのです。
     家に帰ると、隣の家の庭は花も終わったのに、姉妹は残りの花をいとおしみながら涙にくれるばかりでした。花は若さの喩えで、姉妹の若さも失われていくと同情するのです。
     載叔倫はそのご認められて撫州(江西省臨川県)刺史、容州(広西壮族自治区容県)刺史蒹本管経略使を歴任し、善政を布いて住民に慕われたといいます。辞職後は道士になり、徳宗の貞元五年(789)に亡くなりました。享年五十八歳です。

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     中唐15ー耿湋
        秋日               秋日

      返照入閭巷     返照(へんしょう)  閭巷(りょこう)に入る
      憂来誰共語     憂(うれ)い来たるも  誰と共にか語らん
      古道少人行     古道(こどう)    人の行くこと少(まれ)に
      秋風動禾黍     秋風(しゅうふう)  禾黍(かしょ)を動かす

      ⊂訳⊃
              村里に  黄昏の光がさしこみ

              胸の愁いを  誰に語ればいいのか

              古びた道を  ゆきかう人はまれで

              秋風が  黍の畑を吹いていく


     ⊂ものがたり⊃ 代宗の大暦年間に活躍する詩人を「大暦の十才子」と言いますが、人選は一定していません。自然風詠の詩にひそかに政事批判の心懐をひそませる詩人として銭起と韓翃を掲げましたが、これから「大暦の十才子」に数えられる詩人を四人ほど取り上げます。
     耿湋(こうい:734?ー?)は河東(山西省永済県)の人。代宗の宝応二年(763)に三十歳くらいで進士に及第します。この年は吐蕃の長安侵寇などがあり、七月に広徳と改元されました。
     詩題は「秋日」(しゅうじつ)。さりげない題の五言絶句です。「閭巷」は小さな町や村里のことで、そこに「返照」(雲に当たって反射してくる夕日の光)が射しています。胸に愁いが湧いてきますが語るべき相手はいません。「古道」は昔からある古い道で、そこを通る人影はなく、秋風が「禾黍」を動かして吹いています。
     「古道」と「禾黍」に心懐がひそませてあり、「古道」はむかし聖人が行った善政のことです。「禾黍」は殷の箕子(きし)の故事を踏まえており、殷の滅亡後、箕子は荒廃した殷都の跡を通り、「麦秀でて漸漸たり 禾黍油油たり」と詠ったといいます。つまり、古きよき政事の時代は去り、荒廃した国土が残されていると危機意識を述べるのです。

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     中唐16ー耿湋
         涼州詞               涼州詞

      国使翩翩随旆旌   国使(こくし)翩翩(へんぺん)として旆旌(はいせい)に随い
      隴西岐路足荒城   隴西(ろうせい)の岐路(きろ)  荒城(こうじょう)足(おお)し
      氈裘牧馬胡雛小   氈裘(せんきゅう)馬を牧す   胡雛(こすう)小さく
      日暮蕃歌三両声   日暮(にちぼ) 蕃歌(ばんか)  三両声(さんりょうせい)

      ⊂訳⊃
              朝廷の使者が  旗を翻して西へゆく

              隴西の岐路に  荒れ果てた多くの城

              胡族は馬を放牧し  馬上の少年も小さく見え

              夕暮れに二声三声  蛮夷の歌が聞こえてくる


     ⊂ものがたり⊃ 代宗のはじめ吐蕃の勢いは強く、しばしば西の国境を侵しました。「国使」は吐蕃との交渉に赴く使者かも知れません。「隴西」は隴山の西で、分かれ道にある城の多くは荒れ果てていました。「氈裘」は毛織や獣皮で作った衣で胡族を意味します。「胡雛」は胡族の少年です。
     盛唐の時代、辺塞詩は西域勤務者の郷愁を詠うものでしたが、ここでは唐の勢威の衰退を嘆く詩になっています。転句の「氈裘馬を牧す 胡雛小さく」は広い草原に胡族が自由に馬を放牧し、馬上の少年も小さく見えるほどだと状況を描いています。結句も西域ロマンと受け取ることはできないでしょう。
     安史の乱後の混乱期に流入(任官すること)した耿湋は大理司法から左拾遺(従八品上)に至りますが、没年は不明です。

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     中唐17ー司空曙
       金陵懐古           金陵懐古

      輦路江楓暗     輦路(れんろ)    江楓(こうふう)暗く
      宮廷野草春     宮廷(きゅうてい)  野草(やそう)の春
      傷心庾開府     傷心(しょうしん)  庾開府(ゆかいふ)
      老作北朝臣     老いて北朝(ほくちょう)の臣と作(な)る

      ⊂訳⊃
              御輦の路に  川辺の楓樹はほの暗く

              宮殿の庭に  野草の花が咲きほこる

              傷ましいかな開府庾信は

              老いて北朝の臣下となる


     ⊂ものがたり⊃ 司空曙(しくうしょ:740?ー790?)は広平(河北省永年県)の人。代宗の大暦はじめに左拾遺になっていますので、それ以前に流入したとみられますが、進士及第の年は不明です。官途は詳らかでなく、長沙(湖南省長沙市)のあたりに流寓したことがあるといいます。
     詩題の「金陵」(きんりょう)は南朝の都建康(江蘇省南京市)の古名で、亡国の臣下庾信に思いを馳せます。「輦路」の輦は皇帝の乗物。起承句で廃都の春の寂しさを描きます。後半の「庾開府」は南朝梁の開府儀同三司庾信(ゆしん)のことです。
     庾信が使者として北朝の魏(西魏)にいたとき、本国の梁が滅亡して陳王朝になりました。帰国できなくなって魏にとどまっていたとき、北朝も西魏から北周に替わり、北周に仕えて望郷の詩(平成25.11.30のブログ参照)を残しました。北周が随に替わったとき異郷で没した不運の詩人です。

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     中唐18ー司空曙
        江村即事             江村即事

      罷釣帰来不繋船   釣を罷(や)め  帰り来たって船を繋(つな)がず
      江村月落正堪眠   江村(こうそん) 月落ちて  正(まさ)に眠るに堪えたり
      縦然一夜風吹去   縦然(たとえ)  一夜  風  吹き去るとも
      只在芦花浅水辺   只(た)だ芦花(ろか)  浅水(せんすい)の辺(ほとり)に在らん

      ⊂訳⊃
              釣りをやめて帰ったが  舟は岸辺に繋がない

              川辺の村に月は隠れて  眠るにはちょうどよい

              仮に今夜  大風が吹き  どこかへ舟が流されても

              芦の穂のしげる浅瀬に  漂っているだけのことだ


     ⊂ものがたり⊃ 詩題の「江村即事」(こうそんそくじ)は川辺の村での軽い作という意味です。前半は夜半に釣りを終えて帰って来たけれども、岸辺に舟を繋がないといいます。「正に眠るに堪えたり」は舟の中で眠るのに丁度よいという意味で、南国の長沙に流されていたときの作とみる説があります。
     後半は仮定を詠うもので、仮に今夜、大風が吹いても舟は浅瀬に漂うだけだといいます。この詩では「釣」と「風」に寓意があり、釣りは抜擢の願望の喩えです。それを止めて帰り、釣り舟を岸に繋がないというのは諦め、もしくは達観の心境でしょう。
     風は困難や逆境の喩えで、隠者の漁夫のように舟のなかで寝ていても、せいぜいその辺りの浅瀬に漂いつくだけだと不遇の身の心構えを詠うのです。

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     中唐19ー盧綸
        逢病軍人              病軍人に逢う

      行多有病住無糧   行(こう)多く   病(やまい)有りて  住むに糧(かて)無し
      万里還郷未到郷   万里(ばんり)  郷に還(かえ)らんとして  未(いま)だ郷に到らず
      蓬鬢哀吟古城下   蓬鬢(ほうびん)  哀吟(あいぎん)  古城の下(もと)
      不堪秋気入金瘡   堪えず  秋気(しゅうき)の金瘡(きんそう)に入るに

      ⊂訳⊃
              万里の行軍  病気にもなり  食糧もつきる

              故郷に帰ろうとしているが   まだ辿り着けない

              ばさばさ髪  古城のほとりで呻き声を上げ

              秋の冷気が  戦の切り傷にしみて堪えがたい


     ⊂ものがたり⊃ 盧綸(ろりん:737?ー799?)は河中蒲県(山西省永済県)の人。安禄山の乱を避けて鄱陽(江西省波陽県)に移住しました。大暦初年に都へ出て科挙に挑みましたが及第せず、宰相の元載(げんさい)に詩才を認められて、閿郷(ふんきょう:河南省)の県尉になります。累進して検校戸部郎中、監察御史に至りますが、病気のために辞職し故郷にもどりました。
     詩題の「病軍人に逢う」は病気の軍人に逢ったということ。その軍人に成り代わって作った詩です。当時は内戦や異民族との衝突が繰り返されていましたので、戦で負傷し、病気にもなり、落伍して故郷に帰る軍人を見かけたのでしょう。
     この詩には、そういう軍人が出て来るのはなぜかという問いが含まれており、そのことを言外に置いて事実の描写にとどめています。 

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     中唐20ー盧綸
       村南逢病叟            村南に 病叟に逢う

      双膝過頤頂在肩   双膝(そうしつ)は頤(おとがい)を過ぎ  頂(いただき)は肩に在り
      四隣知姓不知年   四隣(しりん)  姓(せい)を知るも  年(とし)を知らず
      臥駆鳥雀惜禾黍   臥(ふ)して鳥雀(ちょうじゃく)を駆って禾黍(かしょ)を惜(おし)み
      猶恐諸孫無社銭   猶(な)お恐る  諸孫(しょそん)の社銭(しゃせん)無きを

      ⊂訳⊃
              顎の上まで   両膝を突き出し頭は肩に沈みこむ

              近所の人々は  姓は知っているが歳を知らない

              穀物が惜しく  畑に這いつくばって小鳥を追うが

              村祭の日に   孫たちに渡す小遣いが欲しいのだ


     ⊂ものがたり⊃ 詩題の「病叟」(びょうそう)は病気の老人ですが、起句の描写によると背中が曲がってしまう病気のようです。年齢も分からないほどの老人で、体も不自由なのに、這うようにして畑で小鳥を追っています。というのも、村祭の日に孫たちにわたす小遣い銭が心配だからだと詠います。
     病気の老人への思いやりに満ちていると同時に、この世にはこんな体でも孫に小遣いをやるために何とか収入を得たいと働いている老人がいると、富者の贅沢を諭す気持ちがひそんでいるようです。
     辞職して故郷にもどっていた盧綸は、やがて河中府(山西省永済県)の留守(長官)に招かれて元帥判官になり、検校戸部郎中に移ります。徳宗のとき都に召し出されますが、出発する前に亡くなりました。享年六十三歳くらいです。

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     中唐21ー李端
        拝新月             拝新月

      開簾見新月     簾(すだれ)を開いて新月を見(み)
      即便下階拝     即便(すなわ)ち階(かい)を下(くだ)りて拝す
      細語人不聞     細語(さいご)   人  聞かず
      北風吹羅帯     北風(ほくふう)  羅帯(らたい)を吹く

      ⊂訳⊃
              簾を巻き上げて  新月を見ると

              すぐに階を降り  月を拝する

              なにやら呟くが  言葉は聞こえず

              一陣の北風が   薄絹の帯をひるがえす


     ⊂ものがたり⊃ 李端(りたん:733ー792)は趙州(河北省趙県)の人。若くして廬山に住み、湖州(浙江省呉興県)の詩僧皎然(こうねん)に禅を学びました。大暦五年(770)、三十九歳で進士に及第し校書郎になりますが、多病のために終南山の草堂寺に隠棲します。
     中国には女性がいろいろな願いを込めて月を拝む「拝新月」(はいしんげつ)の習慣があります。「階」(きざはし)は回廊から中庭に降りる階段のことで、閨怨詩によく出て来る場面です。
     詩は閨怨詩のスタイルを取り、動きのある美しい詩ですが、転句で「細語 人 聞かず」と女性の呟く願い事が聞こえません。そこに含みがあります。言葉に出す前の段階で止めることで、いろいろな意味を込めるのです。

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     中唐22ー李端
        送劉侍郎            劉侍郎を送る

      幾人同入謝宣城   幾人か同(とも)に入る  謝宣城(しゃせんじょう)
      未及酬恩隔死生   未(いま)だ恩に酬(むく)いるに及ばずして死生を隔(へだ)つ
      唯有夜猿知客恨   唯だ夜猿(やえん)の客恨(かくこん)を知る有り
      嶧陽渓路第三声   嶧陽渓路(えきようけいろ)  第三声(だいさんせい)

      ⊂訳⊃
              幾人が従っただろうか  謝朓のようなあなたに

              ご恩に酬いる暇もなく   人々は死んでしまった

              夜半に聞く猿だけは   旅の恨みを知っている

              嶧陽の谷川に沿った路  聞こえてくる猿の第三声


     ⊂ものがたり⊃ 詩題の「劉侍郎」(りゅうじろう)は不明です。上司であった劉侍郎が江南へ左遷されることになり、送別の宴で披露した作品と思われます。「謝宣城」は南朝斉の詩人謝朓(平成25・11.19のブログ参照)のことで、ここでは劉侍郎をさします。同僚だった者の多くは死んでしまったと詠っていますので、老年になっての作でしょう。
     「嶧陽」は嶧山の南側をいい、嶧山は山東省鄒県の東南と江蘇省邳県の西南にあります。ここでは江南への道筋にあたる後者と思われます。江南に棲む手長猿の啼き声はもの哀しく、酈道元(れきどうげん)の『水経注』に「巴東の三峡、巫峡長く、猿鳴くこと三声にして、涙裳を沾(うるお)す」とあります。それを踏まえて、左遷が不当なものであることを仄めかすのです。
     李端はいったん辞任したあと、杭州(浙江省杭州市)の司馬に任じられますが、俗務を好みませんでした。衡山(河南省衡陽県)に移住して隠者の生活を送り、徳宗の貞元八年(792)に亡くなりました。享年六十歳です。 

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     中唐23ー韋応物
        答李澣             李澣に答う

      林中観易罷     林中(りんちゅう)  易(えき)を観ること罷(や)み
      渓上対鷗閑     渓上(けいじょう)  鷗(かもめ)に対して閑(かん)なり
      楚俗饒辞客     楚俗(そぞく)    辞客(じかく)饒(おお)し
      何人最往還     何人(なにびと)とか最も往還(おうかん)する

      ⊂訳⊃
              君は林の中で  易経を読むのにも飽き

              谷川の岸辺で  鷗と遊んでいるのだろう

              楚には昔から  詩人が多い

              とりわけ誰と   親しく交際しているの


     ⊂ものがたり⊃ 韋応物(いおうぶつ:737?ー791?)は京兆長安(陝西省西安市)の人。名門の出ですが、若いころは剣術や遊侠を好んでいました。十七、八歳のころ玄宗皇帝の三衛郎(護衛兵)になりますが、ほどなく安史の乱が起こり、二十歳で職を失います。
     江漢の地を放浪したあと官に復し、代宗の永泰元年(765)に洛陽の県丞になりますが、疾のために辞職します。二度の疾のあいだに勉学にはげみ、知識人としての知性を磨きます。
     詩題の「李澣」(りかん)については、韋応物の後輩で監察御史になった李澣ではないかとする説があります。韋応物が洛陽の県丞のころ、「楚」(湖北省)地に赴任していた李澣から詩を送って来、それに応える詩です。
     はじめ二句の「易」は『易経』、「鷗」は『列子』にみえる寓話を踏まえており、鷗はこちらが無心ならば人になつくと言われています。易経を読むのにも飽き、のんびり鷗と遊んでいるのかと地方勤めの退屈を思いやるのです。後半の「楚俗」は楚地が楚辞の故郷であることを踏まえ、どんな詩人と付き合っているのかと問いかけます。

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     中唐24ー韋応物
        登楼              登楼

      茲楼日登眺     茲(こ)の楼(ろう)  日に登り眺む
      流歳暗蹉跎     流歳(りゅうさい)  暗(あん)に蹉跎(さた)たり
      坐厭淮南守     坐して厭(いと)う淮南(わいなん)の守(しゅ)
      秋山紅樹多     秋山(あきやま)  紅樹(こうじゅ)多し

      ⊂訳⊃
              日ごと高楼に登り  あたりを眺める

              来し方を思えば   おのずから悔やまれる

              淮南の刺史となったが  嬉しくもなく

              秋の山には  紅葉の樹々が満ちている


     ⊂ものがたり⊃ 韋応物の進士及第は不明ですが、徳宗の建中二年(781)に尚書省比部員外郎になり、翌三年、四十六歳のころに滁州(じょしゅう:安徽省滁県)刺史になります。このころから韋応物は大暦期にはじまる中唐詩の新しい方向について勝れた作品を書き、また贈答詩の秀作を残します。
     詩題に「登楼」とあるのは重陽節を意識しています。詩中に「淮南守」とあり、滁州刺史になってからの作品でしょう。「蹉跎」はつまずく、時期を失する意味で、これまでの人生を失敗の連続だったと反省します。
     結句は突き放すように切って余韻を残します。秋山の紅葉への共感を詠うことで、俗世を厭う気持ちを示すのでしょう。 

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     中唐25ー韋応物
        聞雁                雁を聞く

      故園眇何処     故園(こえん)  眇(びょう)として何(いず)れの処(ところ)ぞ
      帰思方悠哉     帰思(きし)   方(まさ)に悠(ゆう)なる哉(かな)
      淮南秋雨夜     淮南(わいなん)  秋雨(しゅうう)の夜
      高斎聞雁来     高斎(こうさい)に雁(かり)の来たるを聞く

      ⊂訳⊃
              故郷は遥か  漠として何処にあるのか
              帰心は募り  寝がえりをうつばかり
              淮南の夜に  秋雨が降り
              楼上の部屋で南に渡る雁の声を聞く


     ⊂ものがたり⊃ 詩中に「淮南」とあるので、滁州在勤中の作品です。「故園」は故郷のことですが、故郷は長安ですので、都は遥かに遠く方角も分からなくなったという比喩を含みます。「悠なる哉」は『詩経』関雎の「悠なる哉 悠なる哉 輾転反側す」を踏まえており、寝返りをうって眠られないことを意味します。
     「高斎」は楼上にある書斎のことで、寝室を兼ねています。その部屋で北から渡ってきた雁の声を聞いたのです。

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     中唐26ー韋応物
        滁州西

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     中唐26ー韋応物
        滁州西澗               滁州の西澗

      独憐幽草澗辺生   独り憐(あわ)れむ  幽草(ゆうそう)の澗辺(かんぺん)に生ずるを
      上有黄鸝深樹鳴   上(かみ)に黄鸝(こうり)の  深樹(しんじゅ)に鳴く有り
      春潮帯雨晩来急   春潮(しゅんちょう)  雨を帯びて晩来(ばんらい)急に
      野渡無人舟自横   野渡(やと)  人無く  舟  自(おのず)から横たわる

            (注) 「澗」は外字になるので同音の字に変えてあります。
               本来は門構えのなかが「月」になっています。

      ⊂訳⊃
              心惹かれるのは  谷川の岸にひっそりと生える草

              上の方では鶯が  樹々の繁みで鳴いている

              春の川の流れは  日暮れの雨とともに急になり

              野原の渡し場に人影はなく  舟がぽつんと横たわる


     ⊂ものがたり⊃ 詩題の「西澗」(せいかん)は滁州城外にある上馬河です。「独り憐れむ」はひときわ心を動かされることをいいます。「幽草」(ひっそりと生えている草)に心惹かれるということは、控え目でないものを厭う心情の表現でしょう。
     転句の「黄鸝」(高麗鶯)には典拠があり、『詩経』小雅「伐木」の「幽谷自(よ)り出でて 喬木に遷る」を踏まえています。この句は出世を意味しますが、詩では「上に黄鸝の 深樹に鳴く有り」となっており、黄鸝が高い木に飛び移れないまま繁みで鳴いているのです。「幽草」も「黄鸝」も比喩と思われ、能力のある者が見捨てられ、口先の上手な者が出世するような世を批判しているのでしょう。
     後半は水辺の眺めです。「春潮」は春になって水かさの増した川の流れで、折からの雨のなか日暮れになってますます急な流れになっています。岸に「野渡」(野の渡し場)があって、人の姿はなく舟だけが所在なさそうに横たわっています。みごとな風景描写であり、同時に急な流れの岸辺で乗り手もなく放置されている舟は、不穏な世相のなか、しっかりした為政者のいない政事の現状を暗に批判するものと受け取ることができます。    

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     中唐27ー韋応物
        観田家             田家を観る

      微雨衆卉新     微雨(びう)  衆卉(しゅうき)新たに
      一雷驚蟄始     一雷(いちらい)  驚蟄(けいちつ)始まる
      田家幾日閑     田家(でんか)   幾日(いくにち)か閑(かん)なる
      耕種従此起     耕種(こうしゅ)  此れ従(よ)り起こる
      丁壮倶在野     丁壮(ていそう)  倶(とも)に野(や)に在り
      場圃亦就理     場圃(じょうほ)  亦(ま)た理(り)に就く
      帰来景常晏     帰来(きらい)   景(けい)  常に晏(く)れ
      飲犢西澗水     犢(こうし)を    西澗(せいかん)の水に飲(みずか)う
      飢劬不自苦     飢劬(きく)     自ら苦とせず
      膏沢且為喜     膏沢(こうたく)  且つ喜びと為(な)す
      倉廩無宿儲     倉廩(そうりん)  宿儲(しゅくちょ)無く
      徭役猶未已     徭役(ようえき)  猶(な)お未だ已(や)まず
      方慚不耕者     方(まさ)に慚(は)ず  耕さざる者の
      禄食出閭里     禄食(ろくしょく)  閭里(りょり)より出づるを

      ⊂訳⊃
              小雨が降って  草木も新芽を出し
              雷が鳴ると   土中の虫や蛇も動き出す
              農家の人々に  どれだけの休暇があったのか
              これから     辛い農作業がはじまるのだ
              男はこぞって  田圃に出かけ
              畑の土を     ととのえる
              家に帰るのは  日暮れのころ
              西の川で     子牛に水を飲ませる
              空腹の苦労は  口にせず
              恵みの雨を   まずは喜ぶ
              米倉に  蓄えはなく
              労役は  止むときがない
              これを見て私は恥じる  耕さない者の俸禄が
              こんな  貧しい村から出ていることを


     ⊂ものがたり⊃ 詩題の「田家」(でんか)は農家のことで、詩中に「西澗」とあるので滁州刺史のとき管下の村落を視察して感想を述べたものでしょう。
     はじめの四句は導入部で、春の耕作が始まるころの季節感を述べます。「驚蟄」(啓蟄)は陰暦二月のはじめ、農作業を始める時期です。農閑期は終わるが、冬であっても農家は家のなかでの仕事があります。どれだけの暇があったろうかと同情するのです。
     中六句では農家の人々の働き振りと心の持ち方を述べます。誰に向かって言っているのかは不明ですが、村里の長老も招かれている宴会の場であれば、都から来た刺史だが農家のこともよく理解していると示すことになります。
     終わりの四句がポイントで、農家の窮状を述べ、俸禄で食べているわが身を反省して締めくくります。「倉廩」は農家の倉庫、「徭役」は国から課される労役のことで、穀物はすべて税として差し出した上、労役も止むときがありません。自分たち役人の「禄食」が貧しい「閭里」から出ていることを慚じると反省しますが、元結(7月26日のブログ参照)のように辞職するとまでは言っていません。そこに違いがあります。 

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     中唐28ー韋応物
       淮上遇洛陽李主簿   淮上にて洛陽の李主簿に遇う

      結茅臨古渡     茅(ぼう)を結びて古渡(こと)に臨み
      臥見長淮水     臥(が)して見れば淮水(わいすい)長し
      牕裏人将老     牕裏(そうり)    人  将(まさ)に老いんとし
      門前樹已秋     門前(もんぜん)  樹  已(すで)に秋なり
      寒山独過雁     寒山(かんざん)  独り過ぐる雁(かり)
      暮雨遠来舟     暮雨(ぼう)     遠来(えんらい)の舟
      日夕逢帰客     日夕(にっせき)  帰客(ききゃく)に逢えば
      那能忘旧遊     那(なん)ぞ能(よ)く旧遊(きゅうゆう)を忘れんや

      ⊂訳⊃
              古びた渡し場の辺で  あばら家に住み
              寝ころんで眺めると  淮水はほそ長い
              この部屋で  私は老いようとし
              門前の樹は  すでに秋の気配だ
              冬枯れの山を越え  一羽の雁が飛び
              日暮れの雨のなか  遠来の客の舟がつく
              夕暮れのこの時刻  都にかえる友と逢えば
              曾ての都の生活を  想い出さずにはいられない


     ⊂ものがたり⊃ 詩題の「李主簿」(りしゅぼ)は洛陽県の主簿(正九品上)で、「淮上」とありますので淮水に近い滁州を訪ねてきたのです。はじめの二句では、「臥して見れば淮水長し」と滁州の官舎で退屈している自分を詠います。
     中四句は老いの兆した自分と秋の景色を対比して描き、日暮れの雨のなか舟がついたと歓迎の意をしめします。寂しさを描く二聯の対句はみごとな出来です。
     結びの二句で、李主簿は都に帰る途中、滁州に立ち寄ったことが分かります。「旧遊」は昔の交遊ですが、それは都での生活であり、長安を懐かしむのです。 

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     中唐29ー韋応物
       淮上喜会           淮上にて梁州の
       梁州故人           故人に会うを喜ぶ

      江漢曾為客     江漢(こうかん)   曾(かつ)て客と為(な)り
      相逢毎酔還     相逢(あいあ)えば毎(つね)に酔いて還(かえ)る
      浮雲一別後     浮雲(ふうん)    一別の後(のち)
      流水十年間     流水(りゅうすい)  十年の間(かん)
      歓笑情如旧     歓笑(かんしょう)  情は旧(もと)の如きも
      蕭䟽鬢已斑     蕭䟽(しょうそ)   鬢(びん)は已(すで)に斑(まだら)なり
      何因不帰去     何に因(よ)りてか帰り去らざる
      淮上有秋山     淮上(わいじょう)  秋山(あきやま)有ればなり

      ⊂訳⊃
              江漢の地で   かつて過ごした旅暮らし
              逢えばいつも  酔って帰ったものだった
              浮雲のように  一別以来
              水は流れて   十年が過ぎる
              談笑すれば   情は昔と変わらぬが
              鬢に白髪が   ものさびしい
              どうして帰って来ないのか  と問われたら
              淮水の辺には みごとな秋山があるからだ


     ⊂ものがたり⊃ 詩題の「梁州(りょうしゅう)の故人」は梁州(河南省睢陽県)出身の昔なじみという意味で、名を記さないのは官途の人でないからでしょう。むかし江漢の地を放浪していたときの仲間が訪ねてきたと思われます。
     はじめの二句は出だしで、それから十年の歳月が流れました。「歓笑」は喜び笑うこと、「蕭䟽」は淋しくまばらなことで、白髪まじりになったのです。結びの二句は問いと答えで、自問自答であってもかまいません。都に帰らないのは淮水のあたりの秋山が美しいからだと答えます。

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