杜牧ー145
途中一絶 途中の一絶
鏡中糸髪悲来慣 鏡中(きょうちゅう)の糸髪(しはつ) 悲しみ来たるに慣(な)れ
衣上塵痕払漸難 衣上(いじょう)の塵痕(じんこん) 払うこと漸く難(かた)し
惆悵江湖釣竿手 惆悵(ちゅうちょう)す 江湖(こうこ) 釣竿(ちょうかん)の手
却遮西日向長安 却(かえ)って西日(せいじつ)を遮りて 長安に向かうを
⊂訳⊃
鏡のなかの 白髪頭の嘆きにも慣れ
染みついた浮世の塵も 払えないとわかってきた
それが何と 釣り竿になじんだ手を挙げて
西の陽ざしを遮りつつ 都長安へ向かうのだ
⊂ものがたり⊃ 大中五年の仲秋八月に、杜牧は考功郎中・知制誥に任命する告身を受け取ります。先の在京のときの員外郎から郎中になるのですから出世です。弟杜が亡くなってみれば、江南にとどまる理由もありませんので、杜牧は再び運河を伝い、秋の陽ざしの中を長安へ向かいます。
杜牧は「衣上の塵痕 払うこと漸く難し」と悟っています。閑雅に暮らそうと思っていたけれども、それがまたもや長安をめざして舟行しているのです。隠棲は口でいうほど簡単ではありません。汴河のゆくて、西のかた長安はまぶしすぎると、釣り竿に馴染んだ手を挙げて、西日をさえぎるのでした。
杜牧ー146
隋堤柳 隋堤の柳
夾岸垂楊三百里 岸を夾(はさ)む垂楊(すいよう) 三百里
秖応図画最相宜 秖(た)だ応(まさ)に図画(とが)に 最も相宜(あいよろ)しかるべし
自嫌流落西帰疾 自ら嫌(いと)う 流落(りゅうらく) 西帰(せいき)の疾(はや)きを
不見東風二月時 見ず 東風(とうふう) 二月の時
⊂訳⊃
両岸にしだれ柳はつづく 数百里
絵にふさわしい 美しさ
志を遂げずに 西へ帰るのは残念だ
春二月の東風に 揺れる柳を見ないまま
⊂ものがたり⊃ 杜牧はこれまでに幾度か汴河を航行しましたが、春二月に通ったことは一度もありません。春になって芽吹くころの汴河の柳を見ることもなく終わったが、岸の柳もこれが見納めだろうと思いながら、「自ら嫌う 流落 西帰の疾きを」と嘆きます。船上に坐した杜牧を乗せて、舟はゆっくりと進み、冬のはじめに長安に着きました。
杜牧ー147
歳日朝迴 歳日 朝より迴る
星河猶在整朝衣 星河(せいが)猶(な)お在りて 朝衣(ちょうい)を整え
遠望天門再拝帰 遠く天門(てんもん)を望んで 再拝して帰る
笑向春風初五十 笑って春風(しゅんぷう)に向かう 初めて五十
敢言知命且知非 敢(あ)えて言わんや 命(めい)を知り 且つ非(ひ)を知ると
⊂訳⊃
星の瞬く夜明け前 礼服をまとって参内し
遥かに玉座を望み 二度跪いて帰ってきた
本日 私は五十歳 笑って春風に向かう
知命知非というが 聖人のようにはいかないものだ
⊂ものがたり⊃ 考功郎中は尚書省吏部考功曹の郎中で、杜牧ははじめて五品の品階を得ました。中国の王朝では、五品と六品との間に大きな身分の差があり、五品と四品は大夫(たいふ)、三品以上は卿(けい)と称します。六品までは士身分であり、五品以上は貴族の身分といえます。五品以上の官人については同居の親族にも公課(租税と兵役)が免除され、子孫は貢挙を経ずに官吏になれる特権があります。
杜牧はさらに知制誥(ちせいこう)を帯びており、制誥は詔書や用命の草案を起草することです。制誥は中書舎人の重要な役目で、知とあるのはその見習いを仰せつかったことになります。才能があれば中書舎人に登用するという意味が含まれているのです。
杜牧は着任すると、その冬、樊川の祖父の別墅を修復して、年来の望みを達しました。しかしこの年、宰相の周墀(しゅうち)が亡くなり、有力な理解者を失います。明ければ大中六年(852)の春、杜牧は五十歳になりました。
新春元旦には大明宮の含元殿で荘重な元会(げんかい)の儀式が催されます。百官は星のまたたく早朝から儀式に参列し、天子を拝します。参内後、杜牧は帰宅しますが、帰宅したのはどの家でしょうか。杜牧は安仁坊の祖父の邸を回復したと言われていますが、はっきりしたことは分かりません。
「知命」は孔子の「五十にして天命を知る」であり、「知非」は春秋衛の大夫遽伯玉(きょはくぎょく)の故事で、「年五十にして、四十九年の非有り」を指します。杜牧は自分の五十年の人生を省みて、聖人のように悟りきるのは難しいと春風の中で苦笑いするのでした。
杜牧ー148
逢故人 故人に逢う
年年不相見 年年(ねんねん) 相見(あいみ)ず
相見却成悲 相見れば 却(かえ)って悲しみを成す
教我涙如霰 我をして 涙 霰(あられ)の如く
嗟君髪似糸 君が髪の 糸に似たるを嗟(なげ)かしむ
正傷攜手処 正に傷む 手を携(たずさ)う処(ところ)
况値落花時 况(たまた)ま値(あ)う 落花の時
莫惜今宵酔 惜(お)しむ莫(な)かれ 今宵(こんしょう)の酔い
人間忽忽期 人間(じんかん) 忽忽(こつこつ)たる期(き)なれば
⊂訳⊃
幾年も会わずにいると
会えば却って悲しくなる
霰のように 涙はほとばしり
衰えた君の白髪が 嘆かわしい
連れだって歩くと 胸は痛むが
いままさに 落花の季節
今夜は おおいに飲もうではないか
人生は あっというまに過ぎ去るのだ
⊂ものがたり⊃ 大中六年(852)の二月、杜牧は弟杜の遺骨を揚州から郷里の万年県洪原郷陵の先祖の墓地に改葬しました。すでに妹と弟妹の家族は引き取っていたでしょう。それが家長としての務めです。
晩春の落花の季節に、杜牧は街で「故人」(旧知の友)に出会いました。それが誰であるかは分かりませんが、「惜しむ莫かれ 今宵の酔い」と消渇(しょうかち)の疾であることも忘れて、おおいに飲みました。
杜牧の揚州時代の友人韓綽(かんしゃく)は、その後の経歴が不詳ですが、杜牧が三十一歳から三十二歳のころ、揚州の妓楼でともに遊んだ仲間です。その韓綽と十八年振りに長安の街で再会したとも考えられます。
杜牧ー149
哭韓綽 韓綽を哭す
平明送葬上都門 平明(へいめい) 葬(そう)を送る 上都(じょうと)の門
紼翣交横逐去魂 紼翣(ふつしょう)交横(こうおう)して 去魂(きょこん)を逐(お)う
帰来冷笑悲身事 帰来(きらい)冷笑す 身事(しんじ)を悲しむを
喚婦呼児索酒盆 婦(ふ)を喚(よ)び児(こ)を呼んで 酒盆(しゅぼん)を索(もと)む
⊂訳⊃
薄明かりの朝はやく 長安城門で葬列を送り
紼や翣は千々に乱れ 去りゆく君の霊魂を思う
帰宅して不遇を嘆き 苦い笑いを噛みしめ
大声で妻子を呼んで 大杯の酒を運ばせた
⊂ものがたり⊃ 長安で再会したのが韓綽であるとすれば、韓綽はほどなく死亡したことになります。というのも「上都の門」は都の城門ですから、韓綽は長安で亡くなったことになるからです。
韓綽が長安にいれば、友人思いの杜牧は生前に会っているはずです。前回の詩「故人に逢う」に「正に傷む 手を携う処」とありますので、故人(旧友)は韓綽である可能性が高く、連れ立って歩くのも傷ましいほどにやつれていたのです。
「紼翣」(つな・はねかざり)は柩車を引く綱と棺の両側に立てる羽根飾りのことで、葬列のさまを示しています。杜牧は不遇に終わった友の人生を思い、またみずからの人生を顧みて悲しむのです。だが、そういう自分の感情も気に入らず、そんな複雑な気持ちを払い除けようと、つい大きな声を出して妻子を呼び、大杯の酒をかたむけるのでした。
途中一絶 途中の一絶
鏡中糸髪悲来慣 鏡中(きょうちゅう)の糸髪(しはつ) 悲しみ来たるに慣(な)れ
衣上塵痕払漸難 衣上(いじょう)の塵痕(じんこん) 払うこと漸く難(かた)し
惆悵江湖釣竿手 惆悵(ちゅうちょう)す 江湖(こうこ) 釣竿(ちょうかん)の手
却遮西日向長安 却(かえ)って西日(せいじつ)を遮りて 長安に向かうを
⊂訳⊃
鏡のなかの 白髪頭の嘆きにも慣れ
染みついた浮世の塵も 払えないとわかってきた
それが何と 釣り竿になじんだ手を挙げて
西の陽ざしを遮りつつ 都長安へ向かうのだ
⊂ものがたり⊃ 大中五年の仲秋八月に、杜牧は考功郎中・知制誥に任命する告身を受け取ります。先の在京のときの員外郎から郎中になるのですから出世です。弟杜が亡くなってみれば、江南にとどまる理由もありませんので、杜牧は再び運河を伝い、秋の陽ざしの中を長安へ向かいます。
杜牧は「衣上の塵痕 払うこと漸く難し」と悟っています。閑雅に暮らそうと思っていたけれども、それがまたもや長安をめざして舟行しているのです。隠棲は口でいうほど簡単ではありません。汴河のゆくて、西のかた長安はまぶしすぎると、釣り竿に馴染んだ手を挙げて、西日をさえぎるのでした。
杜牧ー146
隋堤柳 隋堤の柳
夾岸垂楊三百里 岸を夾(はさ)む垂楊(すいよう) 三百里
秖応図画最相宜 秖(た)だ応(まさ)に図画(とが)に 最も相宜(あいよろ)しかるべし
自嫌流落西帰疾 自ら嫌(いと)う 流落(りゅうらく) 西帰(せいき)の疾(はや)きを
不見東風二月時 見ず 東風(とうふう) 二月の時
⊂訳⊃
両岸にしだれ柳はつづく 数百里
絵にふさわしい 美しさ
志を遂げずに 西へ帰るのは残念だ
春二月の東風に 揺れる柳を見ないまま
⊂ものがたり⊃ 杜牧はこれまでに幾度か汴河を航行しましたが、春二月に通ったことは一度もありません。春になって芽吹くころの汴河の柳を見ることもなく終わったが、岸の柳もこれが見納めだろうと思いながら、「自ら嫌う 流落 西帰の疾きを」と嘆きます。船上に坐した杜牧を乗せて、舟はゆっくりと進み、冬のはじめに長安に着きました。
杜牧ー147
歳日朝迴 歳日 朝より迴る
星河猶在整朝衣 星河(せいが)猶(な)お在りて 朝衣(ちょうい)を整え
遠望天門再拝帰 遠く天門(てんもん)を望んで 再拝して帰る
笑向春風初五十 笑って春風(しゅんぷう)に向かう 初めて五十
敢言知命且知非 敢(あ)えて言わんや 命(めい)を知り 且つ非(ひ)を知ると
⊂訳⊃
星の瞬く夜明け前 礼服をまとって参内し
遥かに玉座を望み 二度跪いて帰ってきた
本日 私は五十歳 笑って春風に向かう
知命知非というが 聖人のようにはいかないものだ
⊂ものがたり⊃ 考功郎中は尚書省吏部考功曹の郎中で、杜牧ははじめて五品の品階を得ました。中国の王朝では、五品と六品との間に大きな身分の差があり、五品と四品は大夫(たいふ)、三品以上は卿(けい)と称します。六品までは士身分であり、五品以上は貴族の身分といえます。五品以上の官人については同居の親族にも公課(租税と兵役)が免除され、子孫は貢挙を経ずに官吏になれる特権があります。
杜牧はさらに知制誥(ちせいこう)を帯びており、制誥は詔書や用命の草案を起草することです。制誥は中書舎人の重要な役目で、知とあるのはその見習いを仰せつかったことになります。才能があれば中書舎人に登用するという意味が含まれているのです。
杜牧は着任すると、その冬、樊川の祖父の別墅を修復して、年来の望みを達しました。しかしこの年、宰相の周墀(しゅうち)が亡くなり、有力な理解者を失います。明ければ大中六年(852)の春、杜牧は五十歳になりました。
新春元旦には大明宮の含元殿で荘重な元会(げんかい)の儀式が催されます。百官は星のまたたく早朝から儀式に参列し、天子を拝します。参内後、杜牧は帰宅しますが、帰宅したのはどの家でしょうか。杜牧は安仁坊の祖父の邸を回復したと言われていますが、はっきりしたことは分かりません。
「知命」は孔子の「五十にして天命を知る」であり、「知非」は春秋衛の大夫遽伯玉(きょはくぎょく)の故事で、「年五十にして、四十九年の非有り」を指します。杜牧は自分の五十年の人生を省みて、聖人のように悟りきるのは難しいと春風の中で苦笑いするのでした。
杜牧ー148
逢故人 故人に逢う
年年不相見 年年(ねんねん) 相見(あいみ)ず
相見却成悲 相見れば 却(かえ)って悲しみを成す
教我涙如霰 我をして 涙 霰(あられ)の如く
嗟君髪似糸 君が髪の 糸に似たるを嗟(なげ)かしむ
正傷攜手処 正に傷む 手を携(たずさ)う処(ところ)
况値落花時 况(たまた)ま値(あ)う 落花の時
莫惜今宵酔 惜(お)しむ莫(な)かれ 今宵(こんしょう)の酔い
人間忽忽期 人間(じんかん) 忽忽(こつこつ)たる期(き)なれば
⊂訳⊃
幾年も会わずにいると
会えば却って悲しくなる
霰のように 涙はほとばしり
衰えた君の白髪が 嘆かわしい
連れだって歩くと 胸は痛むが
いままさに 落花の季節
今夜は おおいに飲もうではないか
人生は あっというまに過ぎ去るのだ
⊂ものがたり⊃ 大中六年(852)の二月、杜牧は弟杜の遺骨を揚州から郷里の万年県洪原郷陵の先祖の墓地に改葬しました。すでに妹と弟妹の家族は引き取っていたでしょう。それが家長としての務めです。
晩春の落花の季節に、杜牧は街で「故人」(旧知の友)に出会いました。それが誰であるかは分かりませんが、「惜しむ莫かれ 今宵の酔い」と消渇(しょうかち)の疾であることも忘れて、おおいに飲みました。
杜牧の揚州時代の友人韓綽(かんしゃく)は、その後の経歴が不詳ですが、杜牧が三十一歳から三十二歳のころ、揚州の妓楼でともに遊んだ仲間です。その韓綽と十八年振りに長安の街で再会したとも考えられます。
杜牧ー149
哭韓綽 韓綽を哭す
平明送葬上都門 平明(へいめい) 葬(そう)を送る 上都(じょうと)の門
紼翣交横逐去魂 紼翣(ふつしょう)交横(こうおう)して 去魂(きょこん)を逐(お)う
帰来冷笑悲身事 帰来(きらい)冷笑す 身事(しんじ)を悲しむを
喚婦呼児索酒盆 婦(ふ)を喚(よ)び児(こ)を呼んで 酒盆(しゅぼん)を索(もと)む
⊂訳⊃
薄明かりの朝はやく 長安城門で葬列を送り
紼や翣は千々に乱れ 去りゆく君の霊魂を思う
帰宅して不遇を嘆き 苦い笑いを噛みしめ
大声で妻子を呼んで 大杯の酒を運ばせた
⊂ものがたり⊃ 長安で再会したのが韓綽であるとすれば、韓綽はほどなく死亡したことになります。というのも「上都の門」は都の城門ですから、韓綽は長安で亡くなったことになるからです。
韓綽が長安にいれば、友人思いの杜牧は生前に会っているはずです。前回の詩「故人に逢う」に「正に傷む 手を携う処」とありますので、故人(旧友)は韓綽である可能性が高く、連れ立って歩くのも傷ましいほどにやつれていたのです。
「紼翣」(つな・はねかざり)は柩車を引く綱と棺の両側に立てる羽根飾りのことで、葬列のさまを示しています。杜牧は不遇に終わった友の人生を思い、またみずからの人生を顧みて悲しむのです。だが、そういう自分の感情も気に入らず、そんな複雑な気持ちを払い除けようと、つい大きな声を出して妻子を呼び、大杯の酒をかたむけるのでした。