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ティェンタオの自由訳漢詩 杜牧107ー110

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 杜牧ー107
    独 酌               独  酌

  窗外正風雪     窓外(そうがい)  正(まさ)に風雪(ふうせつ)
  擁炉開酒缸     炉(ろ)を擁して  酒缸(しゅこう)を開く
  如何釣船雨     如何(いずれ)ぞや  釣船(ちょうせん)の雨
  篷底睡秋江     篷底(ほうてい)  秋江(しゅうこう)に睡(ねむ)るに

  ⊂訳⊃
          窓の外は  大嵐

          炉端で酒を飲むことと

          雨降る秋の江上の  舟の苫屋で眠ること

          いずれが勝っているだろうか


 ⊂ものがたり⊃ 詩中の「風雪」は国字(こくじ)の嵐のことで、必ずしも雪が降っているわけではありません。詩は秋の作で、「窓外 正に風雪」は廃仏のあらしのことであるとも言えるでしょう。秋の夜に杜牧は炉端の酒と釣舟の苫屋の眠りとを比べていますが、答えは次回の同題の詩に示されています。

 杜牧ー108
    独 酌               独  酌

  長空碧杳杳     長空(ちょうくう)  碧(みどり)杳杳(ようよう)たり
  万古一飛鳥     万古(ばんこ)   一飛鳥(いちひちょう)
  生前酒伴閑     生前(せいぜん)  酒  閑(かん)に伴(ともな)う
  愁酔閑多少     愁(うれ)い酔えば  閑は多少(いくばく)ぞ
  烟深隋家寺     烟(けむり)は深し  隋家(ずいか)の寺
  殷葉暗相照     殷葉(あんよう)   暗(ひそ)かに相照らす
  独佩一壷遊     独り一壷(いっこ)を佩(お)びて遊べば
  秋毫泰山小     秋毫(しゅうごう)  泰山(たいざん)を小なりとす

  ⊂訳⊃
          大空は碧く  澄み切って奥深い
          万古千秋は  鳥のように飛び去る
          暇があれば  酒を相手の暮らしだが
          憂さ晴らし   閑雅とはほど遠い
          隋の寺に   霞が立ちこめ
          紅葉は  いつしか私に照り映える
          ひと壷の酒を携え  ひとり歩けば
          泰山も  秋毫よりは軽いと思う


 ⊂ものがたり⊃ 勝負の軍配は酒にあがり、「秋毫 泰山を小なりとす」と持ち上げています。この句は『荘子』を踏まえており、天下に秋毫(秋に生え変わる細い獣毛)よりも大きいものはなく、泰山も小さいと言っています。
 杜牧は「独酌」という詩題を好んでいるようですが、州へは妻子とともに赴任してきていますので、独身ではありません。心から語り合える友がいないという意味です。隠者への思いも心をよぎりますが、廃仏の嵐も届かない江南で、州刺史杜牧は孤独を酒に紛らして過ごす毎日であったようです。
 「隋家の寺」は隋代創建の古い寺でしょう。廃仏は華北ではかなり広範囲に行われたようですが、江南の寺にまでは及んでいなかったようです。

 杜牧ー109
   九日斉山登高           九日 斉山に登高す

  江涵秋影雁初飛   江(こう)は秋影(しゅうえい)を涵(ひた)して  雁(がん)初めて飛び
  与客携壷上翠微   客と壷を携(たずさ)えて  翠微(すいび)に上る
  塵生難逢開口笑   塵生(じんせい)  逢い難し 口を開いて笑うに
  菊花須插満頭帰   菊花(きくか)  須(すべか)らく満頭(まんとう)に挿(さしはさ)みて帰るべし
  但将酩酊酬佳節   但(た)だ酩酊を将(も)って   佳節(かせつ)に酬(むく)いん
  不用登臨恨落暉   用(もち)いず  登臨(とうりん)して落暉(らくき)を恨むを
  古往今来只如此   古往(こおう)今来(こんらい)  只(た)だ此(か)くの如し
  牛山何必独霑衣   牛山(ぎゅうざん)  何ぞ必ずしも  独り衣(ころも)を霑(うるお)さん

  ⊂訳⊃
          秋景色を映して川は流れ  初雁も飛んできた
          客といっしょに酒壷をさげ  小高い山に登る
          人の世に  心から笑えるときはめったになく
          今日こそは頭一杯  菊をかざして帰ろうではないか
          折角の節句の日だ  おおいに飲んで酩酊し
          高い処で  沈む夕陽を嘆くのはよそう
          人生とは  昔も今もこんなもの
          牛山で衣をぬらした君公の  涙のあとは辿るまい


 ⊂ものがたり⊃ 寂しい心境の晩秋九月、丹陽(江蘇省丹陽県)に住む張祜(ちょうこ)が杜牧を訪ねてきました。丹陽は潤州の南、運河に沿った町です。張祜は杜牧よりも十二、三歳年長で、詩才を謳われて穆宗の長慶年間に都に上りましたが、任用されず、以来、丹陽に隠棲して処士でした。
 詩題の「九日」(きゅうじつ)は九月九日の重陽節のことで、二人は「斉山」(せいざん)に登ります。杜牧は心を許し合える友の来訪に久し振りにうきうきとして、歓びの詩を詠います。斉山は池州城の東南郊にあった高さ二十八丈(約87m)の小高い丘で、斉の山ではありません。逆に「牛山」は斉の都臨淄の南にあった山です。
 春秋時代、斉の景公は牛山に登って国見をしました。そのとき、なぜこの美しい国土を残して死んでいかなければならないのかと、人生の無常を嘆いたといいます。杜牧は景公の故事を引いて、人生を嘆きながら過ごすのはよそうと言っています。「登高」(とうこう)して酒を飲み、人生を語り合ったとき、杜牧はむしろ自戒の言葉として、この句を入れたような気がします。

 杜牧ー110
   登池州九峯楼寄張祜    池州の九峰楼に登りて張祜に寄す

  百感中来不自由   百感  中(うち)より来たりて  自由ならず
  角声孤起夕陽楼   角声(かくせい)孤(ひと)たび起こる  夕陽(せきよう)の楼
  碧山終日思無尽   碧山(へきざん)  終日  思い尽くること無く
  芳草何年恨即休   芳草(ほうそう)  何(いず)れの年か  恨み即ち休(や)まん
  睫在眼前長不見   睫(まつげ)は眼前に在れども  長(つね)に見えず
  道非身外更何求   道は身外(しんがい)に非(あら)ざれば  更に何(いずく)にか求めん
  誰人得似張公子   誰人(たれひと)か似たるを得ん  張公子(ちょうこうし)に
  千首詩軽万戸侯   千首の詩は軽(かろ)んず  万戸(ばんこ)の侯(こう)を

  ⊂訳⊃
          様々に憶いは溢れて  どうしようもない
          夕陽に映える九峰楼  角笛は鳴りわたる
          碧山に隠れ棲む君を  終日思いつづけ
          香り草の恨みは     何時になったら消えるのだろうか
          目の前に睫はあるが  見ることはできず
          真理はこの身にあり  外に求める必要はない
          いったい貴君を  誰と比べられようか
          万戸の侯よりも  詩を重んずる生き方よ
              
            
 ⊂ものがたり⊃ この詩は張祜(ちょうこ)が池州(ちしゅう)を訪ねてきたあと、張祜に送った詩とされています。詩題にある「九峯楼」(きゅうほうろう)は池州城の東南隅にあった城楼で、日暮れになると刻(とき)を告げる角笛を鳴らしました。
 「芳草」は屈原が楚辞のなかでしばしば用いる比喩で、世に隠れ住む才能、もしくは貞臣(正しい心を持った臣下)などをいいます。「何れの年か 恨み即ち休まん」と言っていますので、ここでの芳草は杜牧自身のことでしょう。張祜も芳草に比すべき人で、「千首の詩は軽んず 万戸の侯を」と、世俗を捨てて詩作に打ち込んでいる張祜の孤高の生き方を、比べることのできない生き方であると褒めています。

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