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ティェンタオの自由訳漢詩 清ー黄遵憲(2)

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 清53ー黄遵憲
   海行雜感十四首 其七    海行雑感 十四首  其の七

  星星世界徧諸天   星星(せいせい)の世界    諸天(しょてん)に徧(あまね)し
  不計三千与大千   計らず  三千と大千(だいせん)と
  倘亦乗槎中有客   倘(も)し亦(ま)た槎(いかだ)に乗り  中(うち)に客(かく)有らば
  回頭望我地球円   頭(こうべ)を回(めぐ)らして  我が地球の円(まど)かなるを望まん

  ⊂訳⊃
          星々の世界は  すべての国の空にひろがる

          世界がどれだけ多かろうと  関係ないのだ

          もし今の世に   筏に乗って空を飛ぶ人がいるとすれば

          頭を回らして   地球が丸いのを眺めるであろう


 ⊂ものがたり⊃ サンフランシスコ総領事になって船でアメリカに赴任する途中、三十五歳のときの作です。前半二句で満天の星空をみての感懐を詠います。「諸天」はすべての国の空でしょう。「三千与大千」は三千大千世界という仏教語を踏まえるもので、あらゆる世界の意味です。転句は晋の張華の『博物誌』に出てくる伝説で、毎月八日になると筏に乗って天の河を旅する人がいるといいます。その話を持ちだし、そんな人がいるならば地球が丸いのを空から眺めることができるだろうと結びます。

 清54ー黄遵憲
    重 霧               重  霧

  碌碌成何事     碌碌(ろくろく)  何事(なにごと)をか成(な)す
  有船吾欲東     船(ふね)有らば  吾(われ)  東(ひがし)せんと欲す
  百憂增況瘁     百憂(ひゃくゆう)  況瘁(きょうすい)を増し
  独坐屢書空     独り坐して  屢々(しばしば)空(くう)に書(しょ)す
  霧重城如漆     霧(きり)重くして  城  漆(うるし)の如く
  寒深火不紅     寒(かん)深くして  火  紅(くれない)ならず
  昂頭看黄鵠     頭(こうべ)を昂(あ)げて黄鵠(こうこく)を看(み)れば
  高挙扶天風     高く挙(あ)がって天風(てんぷう)に扶(よ)る

  ⊂訳⊃
          時は無為に過ぎて  なにを成そうとしているのか
          船があるならば   祖国へ帰りたい
          さまざまな悩みで  やつれはひどくなり
          ひとり坐りこんで   虚空に字を書くだけの毎日だ
          霧は重く立ちこめ  街は漆を塗ったように暗く
          寒さは厳しくて    煖炉の火も赤くならない
          頭を上げて   黄鵠をみると
          高く上がって  天の風に乗っている


 ⊂ものがたり⊃ 詩題の「重霧」(ちょうむ)は重く垂れこめる霧。霧の都ロンドンでの感懐です。黄遵憲は四十歳代のはじめロンドンにいて、朝鮮をめぐる日清の紛争を遠くから心配して眺めていました。そのときの心情を反映する作品と思われます。
 はじめの二句はロンドンで空しい日々を過ごしていることを詠い、「東せんと欲す」と東の祖国へ帰りたいといいます。中四句はその理由です。
 「況瘁」はやつれたさま。「空に書す」は南北朝時代の故事を踏まえており、自分にふさわしい地位にいないことの表明です。ついで寒くて暗い秋のロンドンを描きます。「城」は街、「火」は暖炉の火です。結び二句の「黄鵠」は黄色い白鳥のことで、漢代からめでたい鳥として詩に用いられてきました。空飛ぶ鳥をみて、自由への願望をのべるのです。

 清55ー黄遵憲
     哀旅順              旅順を哀しむ

  海水一泓烟九点   海水(かいすい)  一泓(いちおう)  煙九点(きゅうてん)
  壮哉此地実天険   壮(さか)んなる哉(かな)  此の地  実に天険(てんけん)なり
  炮台屹立如虎闞   砲台(ほうだい)  屹立(きつりつ)して  虎の闞(うかが)うが如く
  紅衣大将威望儼   紅衣(こうい)の大将   威望(いぼう)儼(おごそ)かなり
  下有窪池列巨艦   下に窪池(わち)有りて  巨艦(きょかん)を列(つら)ね
  晴天雷轟夜電閃   晴天に雷(いかずち)轟(とどろ)き  夜は電(いなずま)閃(きらめ)く
  最高峰頭縦遠覽   最高峰頭(さいこうほうとう)  遠覧(えんらん)を縦(ほしいまま)にし
  龍旗百丈迎風颭   龍旗(りゅうき)百丈(ひゃくじょう)  風を迎えて颭(ひるがえ)る
  長城万里此為塹   長城万里  此(ここ)に塹(ざん)と為(な)る
  鯨鵬相摩図一啖   鯨鵬(げいほう)相摩(あいま)して  一啖(いったん)を図(はか)る
  昂頭側睨何眈眈   頭(かしら)を昂(あ)げて側(かたわら)より睨(にら)むこと  何ぞ眈眈(たんたん)たる
  伸手欲攫終不敢   手を伸ばして攫(つか)まんと欲するも終(つい)に敢(あえ)てせず
  謂海可塡山易撼   謂(おも)えらく  海  塡(うず)む可(べ)し  山  撼(うご)かし易(やす)し
  万鬼聚謀無此胆   万鬼(ばんき)聚(あつま)り謀(はか)るも  此の胆(たん)無からん  と
  一朝瓦解成劫灰   一朝(いっちょう)にして瓦解(がかい)し  劫灰(ごうかい)と成る
  聞道敵軍蹈背來   聞道(きくな)らく  敵軍は背(はい)を蹈(ふ)んで来たれりと

  ⊂訳⊃
          大海原の彼方に  中国が望まれる
          この地こそ実に  天険というべきだ
          聳え立つ砲台は  身構えている虎のようで
          阿蘭陀の砲には  威厳がある
          したの湾内には  巨大な軍艦がつらなり
          晴れた日に雷鳴  夜には稲妻が煌めく
          最高峰に立てば  遠くまで見わたすことができ
          百丈の黄龍旗は  風をうけて翻る
          万里の長城は   旅順の塹壕であり
          列強は迫って    ひと呑みにしようとする
          間近に頭をあげ  虎視眈眈とねらい
          手を伸ばして    掴みかかろうとするができずにいた
          「海は埋められもしよう   山は動かすこともできよう
          だが謀議を凝らしたとて  攻める勇気はあるまい」と
          甘くみていたら   またたくまに崩れて灰になる
          聞けば敵軍は   背後を突いて攻めてきたそうだ


 ⊂ものがたり⊃ 詩題の「旅順」(りょじゅん)は遼寧省遼東半島先端の旅順口。甲午の役(日清戦争)における旅順口の陥落を嘆く詩です。日本軍は明治二十七年(光緒二十年)十月二十一日に旅順攻撃を開始し、四日後の二十五日には攻略しました。詩は翌光緒二十一年(1895)、四十八歳のときの作です。
 二、六、四、四句にわけて読むことができ、はじめの二句で旅順口が天険の要害であることを詠います。「烟九点」は九州というのとおなじ意味で中国をさします。つづく六句は天険であることに加えて防備も万全であると詠います。
 「紅衣大将」の「紅衣」はオランダ人のことで、明の万暦二十九年(1601)にオランダ船が澳門(マカオ)に到着したとき、船員がみな紅い服を着、髪も髯も赤かったので、オランダ人を紅毛、紅衣(紅夷)とよびました。「大将」は明の崇禎四年(1631)にオランダ式大砲が鋳造され、それを「天佑助威大将軍」と名づけて砲身に刻んだことに由来します。大砲製造の技術は清に伝えられ、オランダ式大砲のことを紅衣の大将といいました。
 「窪池」は湾のことです。旅順口には北洋艦隊の基地があり、「雷」と「電」は艦砲の轟く音と夜間発射の閃光です。「最高峰頭」は旅順口を取り巻く山の峰のことで、そこから遠くまで見わたせ、「龍旗」(清国の軍旗)が風にはためいていたと詠います。
 つぎの四句は列強諸国が旅順口を狙っている状況です。まず、万里の長城は旅順口の塹壕の役割を果たしているといいます。「鯨鵬」は長鯨と大鵬で、列強諸国を意味します。中国をひと呑みにしようと虎視眈眈と窺っており、手を伸ばして掴みかかろうとしますができずにたと詠います。
 つぎの二句は清朝政府の油断の指摘です。「万鬼」は有象無象の鬼たち、洋鬼(ヤンコイ)であり、彼らはよつてたかって謀議を凝らしているが、攻めかかる勇気のある者はいないだろうと思っていたといいます。
 ところが最後の二句。「劫灰」は仏教用語で世界が滅亡するときに起こった劫火の灰のことです。旅順口は「一朝にして瓦解」してしまいますが、聞けば敵が背後を突いて攻めこんで来たそうだと伝聞を伝えます。敵(日本)の卑怯な攻め方によって陥落したといっていますが、伝聞になっているのは外国にいたからでしょう。

 清56ー黄遵憲
    己亥雑詩             己亥雑詩

  我是東西南北人   我れは是(こ)れ東西南北の人
  平生自号風波民   平生(へいぜい)   自(みずか)ら風波(ふうは)の民と号す
  百年過半洲遊四   百年 半(なか)ばを過ぎ  洲(しゅう)は四つに遊び
  留得家園五十春   留(とど)め得たり  家園(かえん)五十の春

  ⊂訳⊃
          私は東西南北を飛びまわってきた男だ

          かねてから自分を  「風波の民」と称している

          一生の半分以上を  四大洲に遊び

          五十歳になってやっと  故郷の春を楽しんでいる


 ⊂ものがたり⊃ 詩題の「己亥」(きがい)は光緒二十五年(1899)、五十二歳のときの作品です。職を免じられて故郷に帰っていたとき、龔自珍と同題で八十八首を詠みました。そのなかの一首です。「東西南北の人」は外交官として東奔西走したことをいいます。「風波」には苦難の時代という意味がこめられています。
 後半二句の「百年」は人の一生の意味です。「洲は四つに遊び」は五大洲のうち大洋洲を除く四大洲に勤務したことです。そしていま五十歳になって、やっと昔のままの故郷の春を楽しんでいると詠います。(2016.9.25)

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