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tiandaoの自由訳漢詩

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     中唐70ー柳宗元
       自衡陽移桂十余本      衡陽より桂十余本を移し
       植零陵所住精舎        零陵の住む所の精舎に植う     (前半十句)

      謫官去南裔     官(かん)を謫(たく)せられて南裔(なんえい)に去り
      清湘繞霊岳     清湘(せいしょう)  霊岳(れいがく)を繞(めぐ)る
      晨登蒹葭岸     晨(あした)に登る  蒹葭(けんか)の岸
      霜景霽紛濁     霜景(そうけい)   紛(ふん)として濁れるを霽(は)らす
      離披得幽桂     離披(りひ)として幽桂(ゆうけい)を得たり
      芳本欣盈握     芳本(ほうほん)  握(てのうち)に盈(み)つることを欣(よろこ)ぶ
      火耕困煙燼     火耕(かこう)   煙燼(えんじん)に困しむ
      薪採久摧剥     薪採(しんさい)  久しく摧剥(さいはく)す
      道旁且不願     道旁(どうぼう)  且(か)つ願(ねが)わず
      岑嶺況悠邈     岑嶺(しんれい)  況(いわ)んや悠邈(ゆうばく)なるおや

      ⊂訳⊃
              左遷されて南方にやって来た
              清らかな湘水は  衡山をめぐって流れる
              明け方に  蒹や葭の茂る岸辺に上ると
              霜が降り  暗く濁っていた景色は晴れわたる
              ひっそり生えている木犀をみつけたが
              根元が手で握れるほど細いのが嬉しい
              焼き畑の煙に苦しみ
              薪として伐られ  捥ぎ取られてきた
              道端に生えていても  かえりみる者はなく
              人里離れた山の上に生えていればなおさらだ


     ⊂ものがたり⊃ 柳宗元の山水への愛は、草木を育てることへの愛につながります。貶謫の期間を通じて花木を植える詩が多数残されており、植樹は貶謫の苦悩と悲哀を慰めるよすがになりました。詩は元和三年(808)の秋(もしくは初冬)に、衡州(湖南省衡陽市)から桂の幼木十余本を永州に持ち帰り、法華寺の境内に植えたときの感懐です。
     詩題の「衡陽」は衡州の州治のある県で、「霊陵」(永州の州治のある県)の東北24㌔㍍のところにあります。湘水の下流にあたり、北に衡山を望んでいます。柳宗元は貶謫のはじめ軟禁状態にあったので、元和三年に衡陽へ行ったとすれば自由な旅ではなかったでしょう。
     前半十句のはじめ四句は序の部分です。湘水が「霊岳」(衡山)の麓をめぐって流れ、早朝、蒹(おぎ)と葭(よし)の茂る川岸に上りました。つぎの六句は「桂」(木犀)の幼木をみつけたくだりで、柳宗元はかえりみる者もいない木犀の苦難の来し方に思いをめぐらして同情します。この部分は官途の途中で貶謫の憂き目にあった自分を暗喩するものでしょう。  

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     中唐71ー柳宗元
       自衡陽移桂十余本      衡陽より桂十余本を移し
       植零陵所住精舎        零陵の住む所の精舎に植う    (後半八句)

      傾筐壅故壤     傾筐(けいきょう)  故壤(こじょう)を壅(ふさ)ぎ
      棲息期鸞鷟     棲息(せいそく)   鸞鷟(らんさく)を期(き)す
      路遠清涼宮     路(みち)遠し  清涼(せいりょう)の宮(みや)
      一雨悟無学     一たび雨ふれば学ぶこと無きを悟(さと)る
      南人始珍重     南人(なんじん)は始めて珍重(ちんちょう)せん
      微我誰先覚     我れ微(な)かりせば誰か先ず覚(さと)らん
      芳意不可伝     芳意(ほうい)   伝う可(べ)からず
      丹心徒自渥     丹心(たんしん)  徒(いたず)らに自(おのず)から渥(あつ)し

      ⊂訳⊃
              竹籠に土を詰めて持ちかえり
              住んでいる寺に植えて  鳳凰が飛んでくるようにしたい
              清涼宮への路は遠いが
              ひと雨降れば  みずからの力で伸びていく
              南国の人々は  これを珍重するようになるだろう
              私がいなかったら  誰がこの木に気づいたろうか
              木犀のよい香りは  言葉では伝えられない
              熱い思いを  心に噛み締めるばかりである


     ⊂ものがたり⊃ 後半八句のはじめ四句は、竹籠に土を詰めて木犀の幼木を持ち帰り、それを法華寺の境内に植えて「鸞鷟」(鳳凰の一種)が飛んで来るような聖なる場所にしたいと思うのです。「清涼宮」は不明ですが、桂の木が生えていたという伝承があったのでしょう。ここには都のイメージがあり、都への路は遠いが木犀には自力で繁茂する力があるので、ひと雨降れば元気に育つだろうと詠うのです。
     結びの四句では木犀が育ったあとのことを想像します。最後の二句で、木犀のよい香りを「芳意 伝う可からず」と詠い、みずからの憂国の思いに喩えて「丹心 徒らに自から渥し」といいます。

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     中唐72ー柳宗元
       湘口館瀟湘          湘口館は瀟湘二水
       二水所会            の会する所           (前半十句)

      九嶷濬傾奔     九嶷(きゅうぎ)  傾奔(けいほん)を濬(ふか)くし
      臨源委縈迴     臨源(りんげん)  縈迴(えいかい)するに委(まか)す
      会合属空曠     会合(かいごう)  空曠(くうこう)に属(つら)なり
      泓澄停風雷     泓(きよ)く澄みて風雷(ふうらい)を停(とど)む
      高館軒霞表     高き館(かん)は霞表(かひょう)に軒(あが)り
      危楼臨山隈     危(たか)き楼(ろう)は山隈(さんわい)に臨めり
      玆辰始澂霽     玆(こ)の辰(とき)  始めて澂(きよ)らかに霽(は)れ
      纎雲尽褰開     纎(ほそ)き雲    尽(ことごと)くに褰(かか)げ開く
      天秋日正中     天(そら)秋にして日(ひ)正(まさ)に中(みなみ)し
      水碧無塵埃     水(かわ)碧(あお)くして塵埃(じんあい)無し

      ⊂訳⊃
              九嶷山の麓に  逆巻く流れは深く
              臨源山の麓を  川はめぐって流れている
              川の合する所  広々として何事もなく
              清らかに澄み  嵐もここにはやってこない
              高い館は  霞の上に屋根を突き出し
              高楼は   山の隈に臨んで立っている
              このとき   空はようやく晴れわたり
              細い雲は  すべて左右に開かれる
              秋たけなわの空  陽は真南にあり
              川は青々として  塵ひとつ浮かんでいない


     ⊂ものがたり⊃ 元和四年(809)に、柳宗元は軟禁を解かれ、自由に城外に出ることができるようになりました。その年の重陽節の日に舟で瀟水をくだり、瀟水が湘水と合流する地を訪れて一詩を賦しました。
     詩題の「湘口館」(しょうこうかん)は「瀟湘」(しょうしょう)の合流する地点にありました。瀟水は永州城の西壁に沿って北へ流れ、城の北郊で湘水に合流して洞庭湖へむかいます。前半十句のはじめ四句は瀟水の聖なる流れを描き、合流地点に視線を集中させます。
     「泓く澄みて風雷を停む」という表現には、禁足を解かれた安堵の思い、もしくは都の政争から遠く離れていることへの感懐がこめられているでしょう。つぎの六句では合流地点の美を詠いあげます。湘口館の楼閣が雲間にそびえ、おりよく空も晴れて川の流れは清らかです。

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     中唐73ー柳宗元
       湘口館瀟湘          湘口館は瀟湘二水
       二水所会            の会する所          (後半八句)

      杳杳漁夫吟     杳杳(ようよう)として漁夫(ぎょふ)吟じ
      叫叫羇鴻哀     叫叫(きょうきょう)として羇鴻(きこう)哀しむ
      境勝豈不豫     境(きょう)の勝(すぐ)れたる  豈(あ)に豫(よろこ)ばざらんや
      慮分固難裁     慮(おも)い分かれて固(まこと)に裁(さば)き難し
      升高欲自舒     高きに升(のぼ)りて自ら舒(の)べんと欲するも
      彌使遠念来     彌々(いよいよ)遠き念(おも)いをして来たらしむ
      帰流駚且広     帰る流れは駚(はや)くして且(か)つ広し
      汎舟絶沿     舟を汎(う)かべて沿(えんかい)を絶(た)つ

      ⊂訳⊃
              はるか彼方から  漁夫の歌声が聞こえ
              飛びゆく雁は    哀しげな声で鳴く
              この勝れた光景  どうして楽しむことができないのか
              思いは乱れて   どうすることもできない
              高い所に登って  心をのびやかにしようと思うが
              僻遠の地の思い  悲しみは募るばかりだ
              逝く川の流れは  速くてかつ広い
              舟を浮かべて   行き来するのはやめにしよう


     ⊂ものがたり⊃ 後半八句のはじめ四句で、「漁夫」の歌声と「羇鴻」の鳴き声が聞こえて柳宗元の心は一変し、思いは乱れて美しい景色を楽しむことができなくなります。この日は九月九日、重陽節の日で、高い所に上って晴れやかな気分になろうと思っていましたが、またも僻遠の地にあることの悲しみが湧き起こり、遊覧をやめて帰ろうと思うのです。
     結びの「舟を汎かべて沿を絶つ」は謝霊雲の「始寧の墅を過る」(平成25.10.15ー17のブログ参照)に「水渉しては(のぼ)り沿(くだ)りを尽くす」とあり、柳宗元はその句を「絶沿」(沿を絶つ)と逆転させています。謝霊雲のように山水の美によって鬱屈した心を晴らそうとしますが、そうはならず、かえって苦しみは増してしまうと詠うのです。 

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     中唐74ー柳宗元
        渓居               渓に居む

      久為簪組累     久しく簪組(しんそ)の累(わずら)いを為(な)し
      幸此南夷謫     幸いに此の南夷(なんい)に謫(たく)せらる
      閑依農圃隣     閑(しず)かに農圃(のうほ)の隣に依(よ)り
      偶似山林客     偶々(たまたま)山林の客に似たり
      暁耕翻露草     暁(あかつき)に耕して露草(ろそう)を翻えし
      夜榜響渓石     夜に榜(ふねこ)ぎて渓石(けいせき)を響(ひび)かす
      来往不逢人     来往(らいおう)  人に逢わず
      長歌楚天碧     長歌(ちょうか)すれば楚天(そてん)碧(あお)し

      ⊂訳⊃
              ながらく  煩わしい宮仕えをしてきたが
              幸いにも  南の蛮地に流される
              のどかに  田圃のとなりに住まい
              端なくも   山林の隠者のような身になる
              朝から畑に出て   露草の土地を耕し
              夜には谷川の石に  櫂の音を響かせる
              往き来しても     人に出会わず
              声高らかに詠えば  楚天は青く澄んでいる


     ⊂ものがたり⊃ 湘口館を訪れてほどなく、重要な転機がやってきます。柳宗元の散文「始めて西山を得て宴遊するの記」によると、九月二十八日に法華寺の西亭に坐して西山を望み、「始めて指さして之れを異とす」と言っています。
     西山(糧子山)は永州城の西、瀟水を渡った西岸にあり、柳宗元はその遠望に強く心を惹かれます。対岸に渡ると、西山の北麓に染渓という小流があり、瀟水に注いでいます。柳宗元は流れに沿った藪を従僕に切り開かせ、雑草を払いながら山の高いところに登りました。西山の頂上から永州の全景を眺め、はじめて貶謫の身であることを忘れ、大きな開放感を味合うことができました。
     柳宗元はそのご幾度も染渓を訪ね、染渓に愚渓という名をあたえました。鈷潭(こぼたん)という淵をみつけ、流れに面した小丘を気に入って愚丘と名づけ、私費を投じて私有地にしました。貯えていた俸禄の一部で買い取ったのです。
     翌元和五年(810)、柳宗元は後妻を娶り、その年の秋に愚渓のほとりに移居しています。詩は転居して間もなくの作品です。全体として陶淵明の詩興に近く、「簪組」(簪と組紐)、つまり官界の名利を離れて農民の生活の近くにいることに喜びを感じています。少なくともそのように詠おうとしており、中四句二組の対句は田園に帰居した陶淵明の姿に似ています。
     結びは「長歌すれば楚天碧し」と楚地にあることの爽やかさを詠いあげており、それまでの長篇古詩の鬱屈した心情は一変しています。

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     中唐75ー柳宗元
       旦携謝山人至愚池   旦に謝山人を携えて愚池に至る

      新沐換軽幘     新たに沐(もく)して軽幘(けいさく)を換(か)う
      暁池風露清     暁(あかつき)の池は  風露(ふうろ)清し
      自諧塵外意     自(おのず)から塵外(じんがい)の意(い)に諧(かな)う
      況与幽人行     況(いわ)んや幽人(ゆうじん)と行くをや
      霞散衆山迥     霞(もや)は散じて衆山(しゅうざん)迥(はる)かなり
      天高数雁鳴     天(てん)高くして数雁(すうがん)鳴く
      機心付当路     機心(きしん)  当路(とうろ)に付(ふ)す
      聊適羲皇情     聊(いささ)か羲皇(ぎこう)の情(じょう)に適(かな)う

      ⊂訳⊃
              髪を洗い  頭巾に換える
              夜明けの池に  清らかな風と露
              おのずと  世間から離れた感じになり
              ましてや  高雅な世捨て人と行くのだ
              靄は消え  遥かに山々が見え
              空高く    数羽の雁が鳴いていく
              野心は   権勢の道にともなうもの
              今の私は  陶淵明の羲皇の心境だ


     ⊂ものがたり⊃ 柳宗元は愚渓の自然に没入することで貶謫の苦しみから逃れようとし、染渓(愚渓)のほとりを散策します。湧水の美しい箇所を六か所も見つけて愚泉と名づけ、泉水の流れ出る溝を堰き止めて池をつくり、池のなかに島を配しました。それらを愚溝、愚池、愚島と名づけ、池の東に堂を建て、南に亭を置いて愚堂、愚亭と称します。染渓のほとりの要所を買い取って庭づくりをし、全体を「八愚」と呼びました。
     詩題の「謝山人」(しゃさんじん)は伝不明です。詩中に「幽人」とありますので隠遁者でしょう。詩は謝山人を案内して愚池に行ったときのもので、「旦」(あした)、朝はやく軽い装いで出かけました。「軽幘」は冠の下につける頭巾のことで軽装を意味します。
     結びの「機心」はたくらむ心、「当路」は執政になることを意味しますので、権謀渦巻く都の官界をさし、「聊か羲皇の情に適う」と結びます。「羲皇」は伝説上の帝王伏羲(ふくぎ)の尊称で、陶淵明が太古の純朴な人格として同感をしめす人物です。いまの自分は陶淵明と同じ心境にあると詠うのです。

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     中唐76ー柳宗元
         聞黄鸝               黄鸝を聞く      (前半十二句)

      倦聞子規朝暮声   聞くに倦(あ)きたり  子規(ほととぎす)の朝暮(ちょうぼ)の声
      不意忽有黄鸝鳴   意(おも)わざりき   忽(たちま)ち黄鸝(こうり)の鳴く有らんとは
      一声夢断楚江曲   一声(ひとこえ)に夢は断たる   楚江(そこう)の曲(くま)
      満眼故園春意生   満眼(まんがん)の故園(こえん) 春意(しゅんい)生ず
      目極千里無山河   目は千里を極めて山河(さんが)無く
      麦芒際天揺青波   麦の芒(ほ)は天に際(まじ)わりて青波(せいは)揺らぐ
      王畿優本少賦役   王畿(おうき)は本(もと)に優しくして賦役(ふえき)少なく
      務閑酒熟饒経過   務めは閑(のど)かにして酒(さけ)熟し経過(ゆきき)を饒(ゆた)かにす
      此時晴煙最深処   此の時  晴煙(せいえん)  最も深き処(ところ)
      舎南巷北遥相語   舎南(しゃなん)巷北(こうほく)  遥かに相語(あいかた)る
      翻日迥度昆明飛   日に翻(ひるがえ)り迥(はる)かに昆明(こんめい)に度(わた)りて飛び
      凌風邪看細柳翥   風を凌(しの)ぎ邪(なな)めに細柳(さいりゅう)を看(み)て翥(と)ぶ

      ⊂訳⊃
              朝夕の杜鵑  その鳴き声にも飽いたころ
              思いがけず  鶯の声を聞く
              その一声に  楚の川の岸辺の夢は断ち切られ
              都の春  故郷の庭が  目いっぱいに湧き起こる
              千里の彼方まで  山川の姿はみえず
              天に届く麦の穂  緑の波が揺らいでいる
              畿内の地は  優遇されて賦役もなく
              仕事も長閑  酒も熟して人々の行き来も盛んだ
              そのとき    晴れた霞の奥深いところ
              街並みの南と北で  鳥は遥かに鳴き交わす
              陽の光に翼を翻し  昆明の池を飛び越え
              柳の枝を斜に見て  風をついて飛び上がる


     ⊂ものがたり⊃ 柳宗元は自然に救いを求めようとしますが、永州八愚の山水と親しむことは官界のへの思いとは別の意味で故郷を慕うことにつながります。柳氏伝来の家は長安城内の親仁里にあり、城外西南郊の豊楽郷付近に荘園を有していました。
     柳宗元は自家の荘園を愛し、在京のころは忙しい勤務の合間を縫って騎馬で往復半日の荘園に出かけました。樹木や草花の手入れをし、水を灌いでやることが楽しみのひとつでした。八愚の山水に手を加え、庭づくりに勤しむことは、故郷の荘園を思う望郷の思いにつながります。
     詩題の「黄鸝」(黄鳥)は朝鮮鶯のことで、春に南海から北へ渡り、夏には長安に達します。懐かしい鶯の声を永州で聞き、長安を思い故郷を思って、望郷の思いをほとばしらせます。前半十二句のはじめ四句は主題の提示です。
     「子規」(杜鵑)は晩春、躑躅の花の咲くころに鳴く江南の鳥で、中国では「不如帰(プルコェイ)」(帰るに如かず)と鳴くそうです。その鳴き声にも飽きたころ、思いがけず黄鸝の声を聞いて、都の春景色、「故園」(故郷の庭)の春が目いっぱいに湧いてきました。
     つぎの八句は長安の春景色です。一面に麦畑がひろがり、住民は賦役に苦しまず、役所の勤務はのどかで酒も豊か、人々の往来もさかんです。そのとき遥かに黄鸝の鳴き交わす声がします。「昆明」は長安城の西郊にあった昆明池のことで、柳宗元は池のほとりを騎馬で豊楽郷の荘園にかよっていました。
     黄鸝は昆明の池をわたり、柳の木をかすめ、風邪を切って飛びますが、それは柳宗元自身の姿でもあるでしょう。     

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     中唐77ー柳宗元
         聞黄鸝              黄鸝を聞く       (後半六句)

      我今誤落千万山   我(わ)れ今  誤って千万山(せんまんざん)に落つ
      身同傖人不思還   身は傖人(そうひと)に同じくして還(かえ)るを思わず
      郷禽何事亦来此   郷(ふるさと)の禽(とり)よ  何事か亦(ま)た此(ここ)に来たり
      令我生心憶桑梓   我れをして桑梓(そうし)を憶(おも)う心を生ぜしむ
      閉声迴翅帰務速   声を閉じ翅(つばさ)を迴(かえ)して帰ること速きに務(つと)めよ
      西林紫椹行当熟   西の林の紫椹(ししん)は行々(ゆくゆく)当(まさ)に熟すべし

      ⊂訳⊃
              私はいま   誤って山の連なる果てに落ち
              楚の人に成り果て  帰りたいとも思わないのに
              故郷の鳥よ  どうしてここにやって来たのか
              ふる里を思う心をひき起こすのか
              鳴くのをやめて翼を翻し   はやく帰ってくれ
              長安の西の林の桑の実も  そろそろ熟れるころだろう


     ⊂ものがたり⊃ 後半六句、柳宗元の長安への思いは幻想の頂点で一転します。「我れ今 誤って千万山に落つ」と貶謫の身の現実にもどってしまいます。すでに「傖人」(田舎者)になってしまって都に帰りたいとも思っていないのに、黄鸝よ、お前はどうして「桑梓」(家郷)を思い出させるようなことをしてくれるのか、鳴くのはやめて早く故郷の園に帰ってくれと訴えます。「西林」は長安の西の林、柳家の荘園のあるあたりでしょう。西林の「紫椹」(桑の実)も熟したころだと促して、帰郷への思いをのべるのです。

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     中唐78ー柳宗元
        早梅                早梅

      早梅発高樹     早梅(そうばい)  高き樹(き)に発(ひら)き
      迥映楚天碧     迥(はる)かに楚天(そてん)の碧(あお)きに映ず
      朔吹飄夜香     朔(きた)より吹きくるは夜の香りを飄(ただよ)わせ
      繁霜滋暁白     繁(しげ)き霜は暁(あかつき)の白を滋(うるお)す
      欲為万里贈     万里の贈(ぞう)を為(な)さんと欲するも
      杳杳山水隔     杳杳(ようよう)として山水(さんすい)に隔てらる
      寒英坐銷落     寒(つめ)たき英(はなびら)の坐(そぞ)ろに銷落(しょうらく)するに
      何用慰遠客     何を用(も)ってか遠客(えんきゃく)を慰めん

      ⊂訳⊃
              早咲きの梅が  高い木に咲き
              遥かな空     楚天の碧に映えている
              北の夜風が   梅の香をただよわせ
              一面の霜は   明け方の白い花びらを潤おす
              万里の彼方へ  送ろうと思うが
              あまりに遠く   山や川に隔てられている
              寒中の花は   思いのままに散りつくし
              どうやって    遠来の客を慰めてくれるのか


     ⊂ものがたり⊃ 花木に託して望郷の思いを詠う詩も幾つかあります。「早梅」(そうばい)は制昨年不明ですが、このころの作品でしょう。早春のころ早咲きの梅を見て、その奥ゆかしい香り、清らかな花の白さに感動して都に送り届けたいと思います。
     しかし、長安はあまりに遠く、梅の花は見る者の気持ちにおかまいなく散ってしまいます。「遠客」は柳宗元自身のことで、わたしの心をかき乱すだけならば、梅よ、咲いてくれるなと恨みをのべるのです。  

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     中唐79ー柳宗元
       南中栄橘柚          南中に橘柚栄ゆ

      橘柚懐貞質     橘柚(きつゆう)は貞質(ていしつ)を懐(いだ)き
      受命此炎方     命(いのち)を此の炎方(えんぽう)に受(さず)かる
      密林耀朱緑     密林(みつりん)に朱緑(しゅりょく)を耀(かがや)かし
      晩歳有余芳     晩歳(ばんさい)に余芳(よほう)有り
      殊風限清漢     殊風(しゅふう)は清漢(せいかん)に限られ
      飛雪滞故郷     飛雪(ひせつ)は故郷に滞(とどこお)る
      攀条何所歎     条(えだ)に攀(よじ)りて何の歎く所(ところ)ぞ
      北望熊与湘     北のかた熊(ゆう)と湘(しょう)とを望む

      ⊂訳⊃
              柑橘は  変わることのない操を抱いて
              炎熱の地に   命をさずかる
              森のなかに   朱い実と緑の葉を耀かせ
              熟するころに  有り余る香りをただよわす
              異俗の風が   銀河の輝きを曇らせ
              飛びかう雪は  故郷にとどまっている
              枝にすがって  何を歎くのか
              北の方  熊山と湘山を眺める


     ⊂ものがたり⊃ 詩題の「橘柚」(みかんの類)は南国の特産です。柳宗元は「炎方」(炎熱の地)に流された自分を特産の橘柚に喩えます。中国の華北は疎林が多く、「森」は厳かの意味に用います。「密林」は林の密なところで、和語の森にあたるでしょう。
     橘柚は森のなかにたわわに実っていると言いながら、詩は後半四句の歎きになります。「清漢」は天の河のことで、南の風が天の河の輝きを曇らせ、雪は北の故郷にとどまって南までは降ってきません。
     「条に攀りて何の歎く所ぞ」は鈴なりの橘柚をわが身に喩えるもので、豊かに実った自分は枝にすがりついて北の方、熊山と湘山を望むだけだと歎きます。異俗のなかで朽ちていく自分に我慢できず、恨みと切なさを胸に抱きながら長安の方を見詰め、空しさを噛みしめるのです。

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     中唐80ー柳宗元
       南澗中題           南澗中に題す          (前半十句)

      秋気集南澗     秋気(しゅうき)  南澗(なんかん)に集まる
      独遊亭午時     独り遊ぶ     亭午(ていご)の時
      迴風一蕭瑟     迴風(かいふう)  一(いつ)に蕭瑟(しょうしつ)
      林影久参差     林影(りんえい)  久しく参差(さんし)
      始至若有得     始めて至りて得ること有るが若(ごと)し
      稍深遂忘疲     稍(や)や深くして遂(つい)に疲れを忘る
      羇禽響幽谷     羇禽(ききん)   幽谷(ゆうこく)に響き
      寒藻舞淪漪     寒藻(かんそう) 淪漪(りんい)に舞う
      去国魂已游     国(くに)を去りて  魂  已(すで)に游び
      懐人涙空垂     人を懐(おも)いて  涙  空しく垂(た)る

      ⊂訳⊃
              秋の気が   南の谷川に集まるとき
              ま昼間に   ひとりで散歩する
              つむじ風は  淋しげに吹き
              林の木々は  入り乱れていつまでも揺れる
              ここに来たとき  心に触れるものがあった
              奥にゆくにつれ  疲れを忘れる
              渡り鳥の声が   静かな谷間にひびき
              渓流の水草が  さざ波に揺れている
              都を去って  魂は肉体から離れ
              人恋しくて  むなしい涙を流す


     ⊂ものがたり⊃ 元和七年(812)の秋、「永州八記」に代表される山水記を書きながら、柳宗元の孤独は深まっていきます。その孤独、寂寞を乗り越えようとして詩が書かれます。詩題の「南澗」は南の谷川で、愚丘の南、愚渓のことでしょう。
     秋の正午、淋しく澄み切った流れのあたり、つむじ風の吹くなかを歩いてゆきます。柳宗元はその山水を「始めて至りて得ること有るが若し」「遂に疲れを忘る」と肯定的に捉えようとします。だが、心はすぐに反転し、「国を去りて 魂 已に游び 人を懐いて 涙 空しく垂る」と詠うのです。

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     中唐81ー柳宗元
       南澗中題           南澗中に題す          (後半六句)

      弧生易為感     弧(ひと)りなる生は感(かん)を為(な)し易(やす)く
      失路少所宜     路を失いては宜(よろ)しき所(ところ)少なし
      索寞竟何事     索寞(さくばく)  竟(つい)に何をか事とせん
      徘徊秖自知     徘徊(はいかい)して秖(た)だ自(みずか)ら知る
      誰為後来者     誰か後来(こうらい)の者と為(な)らん
      当与此心期     当(まさ)に此の心と期(き)すべし

      ⊂訳⊃
              一人ぼっちの生活は  物に感じやすく
              路を踏み誤って以来  よいことは少ない
              うらぶれた寂しさ    いったい何をしようというのか
              さまよい歩くこの心   自分だけが知っている
              私のあとに  誰がやってくるのだろう
              その人は   私のこの思いに出会うであろう


     ⊂ものがたり⊃ 後半六句は自問自答です。苦悩する心を語ります。「索寞 竟に何をか事とせん」と自問し、「後来の者」は自分のこの思いに出会い、理解してくれるに違いないと、未来に託して安心(あんじん)を得ようとします。

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     中唐82ー柳宗元
       秋暁行南谷         秋の暁に南谷を
       径荒村            行き荒村を径

      杪秋霜露重     杪秋(びょうしゅう)  霜露(そうろ)重し
      晨起行幽谷     晨(あした)に起きて幽谷(ゆうこく)を行く
      黄葉覆渓橋     黄葉(きば)は渓橋(けいきょう)を覆い
      荒村唯古木     荒村(こうそん)には唯(た)だ古木あるのみ
      寒花疏寂歴     寒花(かんか)は疏(まば)らにして寂歴(せきれき)たり
      幽泉微断続     幽泉(ゆうせん)は微(かす)かにして断続す
      機心久已忘     機心(きしん)    久しく已(すで)に忘る
      何事驚麋鹿     何事(なにごと)ぞ  麋鹿(びろく)を驚かしむるとは

      ⊂訳⊃
              秋も末になり   霜と露は重たく降り
              朝早く起きて   深い谷間を行く
              谷川の橋を   黄色くなった葉が覆い
              荒れた村には  古びた木があるだけだ
              寒中に咲く花は  まばらで寂しく
              泉の水は      微かな音を立てて流れる
              官途への思いは  とっくに忘れてしまったのに
              どうしたことか   鹿をびっくりさせるとは


     ⊂ものがたり⊃ 詩題に「南谷」(なんこく)とあり、詩中に「幽谷」とありますので、「南澗中題」と同じころの作と思われます。「杪秋」の杪は梢の意味で、晩秋を意味します。中四句では幽谷のもの寂しい情景が描かれます。
     そして結びの二句で、「機心」(名利を求める心)はすでに忘れてしまっているのに、どうして私は「麋鹿」(なれ鹿と鹿)を驚かせるのかと、無心の境地に安心立命(あんじんりゅうめい)できない自分を反省するのです。

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     中唐83ー柳宗元
        漁翁                   漁翁

      漁翁夜傍西巌宿   漁翁(ぎょおう)  夜  西の巌(いわお)に傍(そ)いて宿る
      暁汲清湘燃楚竹   暁(あかつき)に清湘(せいしょう)を汲み楚竹(そちく)を燃やす
      煙銷日出不見人   煙(もや)銷(き)えて日(ひ)出(い)で人を見ず
      欸乃一声山水緑   欸乃(あいだい)  一声   山水(さんすい)緑なり
      迴看天際下中流   天際(てんさい)を迴(かえ)り看(み)て中流に下る
      巌上無心雲相逐   巌上(がんじょう)  無心に  雲(くも)相逐(あいお)う

      ⊂訳⊃
              漁夫の翁は   西山の岩蔭で夜をすごし
              夜明けに湘水の水を汲み  楚竹を燃やす
              靄は晴れて朝日が昇るが  人影はなく
              一声高く舟を漕ぎ出せば   山水は緑色
              天の果てを振り返りつつ   中流を下れば
              岩山の上空で  雲は無心に雲を追う


     ⊂ものがたり⊃ 名作「江雪」(10月18日のブログ参照)を元和七年冬の作とする説にたてば、貶謫の孤独、寂寞を自分にふさわしいものとして受け入れようとする心情、その究極において到達した心象風景を詠ったものとして読むこともできます。
     永州初期の詩は韻律の制約の少ない五言古詩、しかも長篇の作品が多かったのですが、それは揺れ動く複雑な心を吐露するために必要な形式でした。しかし、貶謫七年をへて諦めの心情が深くなると、詩は短く凝縮されたものになります。五言絶句「江雪」は、その究極の姿と言っていいかもしれません。
     元和八年(813)、友人に送った八十韻(160句)の五言古詩では、自殺しようと思ったことさえあったと詠っています。それがいつのことか不明ですが、悲痛のあまり自死を考えたこともあったのです。楚の屈原に通じる思いもあったのでしょう。
     詩題の「漁翁」は「江雪」の蓑笠の翁を思わせ、屈原の作とされる楚辞「漁父」(ぎょほ)を思わせます。世俗を超越した隠者漁父のイメージは漢代には確立しており、唐代に多くの詩人が取り上げるテーマになっていました。
     七言六句のこの古詩の制昨年は不明ですが、柳宗元はみずからを漁父として、その生活の一端を描きます。「暁に清湘を汲み楚竹を燃やす」のは朝食を炊くのであり、「欸乃」は舟に棹さして漕ぎ出すときの掛け声です。
     結びの一句は陶淵明の詩興に通じるものがあり、隠遁して自然のなかに無心の境地を求めようとします。自死ではなく隠遁を選ぼうとするこころの表明でしょう。

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     中唐84ー柳宗元
       零陵早春          零陵の早春

      問春従此去     春に問う  此(こ)こ従(よ)り去って
      幾日到秦原     幾日か秦原(みやこ)に到ると
      憑寄還郷夢     憑(たよ)り寄す  郷(ふるさと)に還(かえ)るの夢
      慇懃入故園     慇懃(いんぎん)に故園(こえん)に入(はい)れ

      ⊂訳⊃
              春よ  ここを去って

              幾日で都に着くのか

              故郷に帰る夢を  お前に託す

              こころを込めて  古里の庭に入っておくれ


     ⊂ものがたり⊃ 帰京への諦めが深まるとともに、柳宗元の詩は短くなり、一途に古里の園池を懐かしむ詩に帰着します。詩題の「霊陵」(れいりょう)は永州の州府のある県のことです。ここでは望郷の思いは単純化され、北上する春に託して故郷に帰る夢を詠うだけです。

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     中唐85ー柳宗元
       春懐故園           春 故園を懐う

      九扈鳴已晩     九扈(きゅうこ)鳴くこと已(すで)に晩(おそ)く
      楚郷農事春     楚郷(そきょう)は農事(のうじ)春なり
      悠悠故池水     悠悠(ゆうゆう)たる故池(こち)の水
      空待灌園人     空(むな)しく園に灌(そそ)ぐ人を待つ

      ⊂訳⊃
              九扈の鳥が  いまごろ鳴いている

              楚の地では  春の農作業がまっさかりだ

              はるか彼方  古里の池の水は

              庭で空しく   水やる人を待っている


     ⊂ものがたり⊃ 「九扈」は不明ですが江南の野鳥でしょう。春の農作業のまっ盛りであるのを見ては長安西郊の荘園を思い出し、池の水は水を汲み上げて園地に注ぐ人を空しく待っているだろうと故郷への思いを馳せます。
     元和八年(814)の作品「囚山賦」(山に囚わるるの賦)に「……兕(じ)に匪(あら)ざるに吾れは柙(こう)せられ、豕(し)に匪ざるに吾れは牢(ろう)せらる。十年を積むも吾れを省る者莫(な)く、増々吾れを覆うに蓬蒿(ほうこう)を以てす」とあります。この賦ではもはや、永州の山々は貶謫の身を慰める山ではなく、自分を閉じこめる牢獄であり、怨みの対象となっています。

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     中唐86ー柳宗元
       詔追赴都迴           詔により追われて都に赴き
       寄零陵親故           迴る 零陵の親故に寄す

      毎憶繊鱗遊尺沢   毎(つね)に憶(おも)う  繊鱗(せんりん)の尺沢(せきたく)に遊びしことを
      翻愁弱羽上丹霄   翻(ひるがえ)って愁う  弱羽(じゃくう)の丹霄(たんしょう)に上るを
      岸傍古堠応無数   岸傍(がんぼう)の古堠(ここう)は応(まさ)に無数なるべし
      次第行看別路遥   次第に行々(ゆくゆく)看(み)れば別路(べつろ)遥かなり

      ⊂訳⊃
              繰り返し思う  小魚が小さな池で泳いでいたことを

              それを思えば  弱った羽根で空に昇るのが不安である

              岸辺の一里塚は   どこまでもつづくだろう

              それを過ぎる毎に  永州から遠ざかる


     ⊂ものがたり⊃ 九年余におよぶ永州貶謫は柳宗元の心を打ち砕くかと思われましたが、「囚山賦」を書いた翌元和十年(815)正月、憲宗の詔勅が永州に届きました。都へ召喚されることになった柳宗元はすでに四十三歳になっていました。
     突然の帰還命令に接し、諦めかけていた柳宗元の心は一転して希望に湧き立ちます。と同時に十年振りの長安を不安に思う気持ちもありました。詩は永州零陵を発つとき「親故」(親しい友人)に贈った留別の詩です。
     起句で自分を「繊鱗」(かよわい小魚)と卑下します。「丹霄」は赤い空で、輝く大空のような都に「弱羽」(弱った翼)で帰るのは不安であると詠います。「古堠」の堠は里程をしめす塚のことで、「岸傍」とあるので水路の傍らにも一里塚が置かれていたのでしょう。「古堠」を辿ってゆくうちに永州から遠ざかると別れを惜しむ気持ちを詠います。

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     中唐87ー柳宗元
       過衡山見新花開        衡山を過りて新しき花の
       却寄弟              開くを見 却ち弟に寄す

      故国名園久別離   故国(ここく)  名園(めいえん)   久しく別離(べつり)す
      今朝楚樹発南枝   今朝(こんちょう)  楚樹(そじゅ)  南枝(なんし)を発(ひら)く
      晴天帰路好相逐   晴天(せいてん)  帰路(きろ)   相逐(あいお)うに好(よ)ろし
      正是峯前迴雁時   正(まさ)に是れ  峯前(ほうぜん)  迴雁(かいがん)の時

      ⊂訳⊃
              古里の庭とは  永らく別れていた

              今朝     楚地の梅の木が南の枝に花ひらく

              晴れた空  都への帰りを追うにはいい日和

              今まさに  霊山の峰を雁が北へとめぐる時


     ⊂ものがたり⊃ 詩題に「衡山」(こうざん)とあり、北還して衡陽(湖南省衡陽市)まで来たとき、梅の花が咲いているのを見ました。それにつけても思い出すのは故郷の荘園の庭です。このとき従弟の柳宗直(りゅうそうちょく)は残務整理のためまだ永州にいました。だから、はやく追いついて来いと出発を促しています。
     結句は衡山が渡雁の南限の山と言われているのを踏まえており、自分も今まさに北へ帰ろうとしていると晴れやかに詠います。 

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     中唐88ー柳宗元
        汨羅遇風            汨羅にて風に遇う

      南来不作楚臣悲   南来(なんらい)  楚臣(そしん)の悲しみを作(な)さず
      重入脩門自有期   重ねて脩門(しゅうもん)に入る  自(おのず)から期(き)する有り
      為報春風汨羅道   為(ため)に報ず  春風(しゅんぷう)  汨羅(べきら)の道
      莫将波浪枉明時   波浪(はろう)を将(も)って明時(めいじ)を枉(うら)む莫(なか)れ

      ⊂訳⊃
              南に来たが  屈原の悲しみを抱くに至らず

              生きて再び  都の門に入る日が待っている

              汨羅のほとりで私はいう  春風よ  波を起こして

              聖明の世に  屈原の怨みを蘇らせたりはしないでくれ


     ⊂ものがたり⊃ 詩題の「汨羅」は戦国楚の屈原が身を投じた川で、洞庭湖の東南部で湖にそそぎます。当時の長途の旅は水路でたどれるところは舟を用いるのが普通でしたので、洞庭湖から汨羅水を少し遡って汨羅の淵(湖南省湘陰県の東北)を訪れたのでしょう。
     屈原は国に怨みを抱いて自殺したが、自分は逆境を抜け出すことができたと詠います。「脩門」は戦国楚の都郢(えい)の城門の名で、自分はふたたび唐都長安の門をくぐることができると帰京への期待を詠います。
     そして春風に、国を怨んで死んだ屈原の気持ちを、この「明時」(聖明の世)に蘇らせるようなことはしないでくれと呼びかけます。この呼びかけは、永州の自己への鎮魂歌ともいえるでしょう。

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     中唐89ー柳宗元
       詔追赴都二月        詔して追われ都に赴く
       至灞亭上           二月灞亭の上に至る

      十一年前南渡客   十一年前(ぜん)  南渡(なんと)の客
      四千里外北帰人   四千里外(がい)  北帰(ほっき)の人
      詔書許逐陽和至   詔書は陽和(ようわ)を逐(お)いて至るを許す
      駅路開花処処新   駅路(えきろ)  花開(ひら)きて処処(しょしょ)新たなり

      ⊂訳⊃
              十一年前は  南へゆく旅人だった

              四千里の彼方から   いまは北へ帰る人

              麗らかな春を追って  都にもどることをお許しになり

              宿駅の路に花は咲き  どこもかしこも目新しい


     ⊂ものがたり⊃ 柳宗元は北還を急ぎ、洞庭湖から長江をへて漢水を遡り、陸路、武関(陝西省丹鳳県の東南)を通って秦原(関中盆地)に入ります。詩題の「灞亭」(はてい)は灞水のほとりの駅亭で、一月に永州を発った柳宗元は二月に灞上に着いています。
     長安は目の前です。十一年前、南へ追放された身を思えば夢のようです。「陽和」は麗らかな春の陽ざしで、南から北へ移る春を追って都にもどってきました。宿駅の路のほとりに咲いている花も、はじめて見るように新鮮です。
     北還の詩はいずれも七言絶句で、韻律も滑らかに都へ帰る喜びを伝えています。だが、待っていた運命は苛酷でした。
     
      

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